明治維新から150年の今年、維新の力を生んだ「薩摩の教え」を改めて皆さんと共に学んでいるこの番組。今週は、郷中教育の中の武術についてご紹介しています。
昨日は、城下に設けられた「演武館」で、若者たちがさまざまな武芸の修練に励んでいたこと。そして、多くの若者が示現流を学んでいたことをお話ししました。今日は、この示現流の源流についてご紹介します。
一撃で相手を仕留める、薩摩の必殺剣として世に恐れられたと言われる示現流。この示現流を薩摩にひらいたのは東郷重位という人物でした。
東郷重位がこの世に誕生したのは1561年。武田信玄と上杉謙信が川中島で戦っていた頃のことです。
重位は、島津家の剣術師範から待捨流という流派の剣術を学びました。18歳の時には免許皆伝となり、同じ年に出陣した日向の耳川の戦では、初戦でありながら武功を立てたという逸話も伝わっています。
剣の達人であった重位ですが、なりわいは、金細工の職人だったと伝えられています。27歳の時、重位は金細工や蒔絵を学ぶため、京へ上ります。滞在先で、天真正自顕流の達人である僧侶と出会ったことが、重位を剣の道へと誘うことになりました。
東郷重位と京都の僧侶が出会うことがなかったら、薩摩の歩みは違うものになっていたのかもしれません。歴史っておもしろいですね。
明日も、示現流の源流についてお話しを続けます。