薩摩の教え

郷中教育9

先週から薩摩の青少年教育「郷中教育」についてご紹介しています。

六才から十才までの小稚児から、十四・五才までのおせ稚児へ昇格する時、仲間の小稚児たちは、昇格する小稚児を送り出す際、いささか乱暴な手段を取ったようです。

おせ稚児の仲間が新しくおせ稚児になる少年を迎えに来ると、それまで一緒だった小稚児たちは、すぐさま出て行く少年に一同飛びかかります。
押さえつけてギュウギュウいわせたり、幅1メートル、長さ1メートル40センチ位ある箱に押し込み、その上から縄で縛りつけ、座敷中をゴロゴロ転がしたり・・・。』

中に入っていた稚児は、大変だったようです。
では、どうして手荒な振る舞いをしたのでしょうか?

昨日まで、同じ仲間だった稚児が明日から長稚児となる。
つまり先輩の稚児となれば、ドンナ無理難題であっても、命令に従わなければならないので、今のうちに、いじめておこうと言う単純な発想からでした。
それ程、郷中の中での上下関係は、厳しいものだったと伝えられます。

次に、長稚児から二才にせになるのは、おおよそ十四・五才で、この時に、前髪を切って元服していました。元服とは、「奈良時代以降、男の子が成人になったことを示す儀式」のことです。
二才にせとなった若い武士は、多くの人々の前で「武士の掟」を声高こわだかに読まなければなりませんでした。

その掟とは、「武士道に背く間じきこと」、そして、「世間と心易く成間敷なるまじきこと」など4カ条から成りたっていました。
詳しくは、またの機会に・・・

では、今日も、鹿児島のこの言葉でお別れしましょう。
また明日。毎日めにっごわんそ!

郷中教育8前のページ

郷中教育10次のページ

関連記事

  1. いろは歌

    いろは歌「は」(3番目の歌)

    きょうは、いろは歌の「は」をご紹介します。儚はかなくも 明日あすの命…

  2. 薩摩の教え

    せごどんの遠行⑤

    せごどんの遠行、今日はゴールの模様をお送りします。歩き終えたばかりの…

  3. 薩摩の教え

    西郷南洲遺訓 第12条「西洋の刑罰に学ぶべきこと」

    今週も西郷さんが遺した教え、「西郷南洲遺訓」からご紹介しています。今…

  4. 薩摩の教え

    遺訓増刷のクラウドファンディング~水野貞吉さんのお話②

    西郷南洲遺訓を世に広めたのは庄内の人々ですが、昨日は、その庄内(今の山…

  5. 薩摩の教え

    西郷南洲遺訓 第20条「制度や方法より、大切なのは人である」

    先週は、歴史家の加来耕三さんのインタビューをお送りしました。まだまだ知…

  6. いろは歌

    いろは歌「た」(16番目の歌)

    今日は、いろは歌の16番目の「た」の歌をご紹介します。種たねとなる …

PAGE TOP