今週は、薩摩琵琶の制作復活に取り組む、薩摩琵琶制作研究の会事務局の濱田眞民さんにお話を伺っています。
戦国時代の末期、武士道を説くために島津日新公が編み出し、領内でたしなまれていた薩摩琵琶ですが、明治維新を機に全国に広まり、洗練され、いくつもの流派が誕生しました。
ですが、昭和に入ると戦後の混乱や社会情勢の変化により衰退の道をたどり、ついに昭和30年代には県内の琵琶制作者は途絶えてしまいました。
濱田さんの師であった安田幸吉先生も危機感を抱き、カルチャースクールで講座を開き、独自の譜面を作るなどして普及に努めました。また、当時の県木材工業試験場とともに琵琶制作の復活にも取り組まれたそうです。
安田先生、そして濱田さんが琵琶制作に深い関心を寄せるのは、所属する正風会の流祖である伴彦四郎が、優れた弾奏者であるとともに琵琶づくりの名手であったことに由来しています。伴彦四郎の作る「伴どんの琵琶」は、名器として名を馳せました。
(濱田さん)
「伴どんの琵琶」の先生が、私どもの流祖になるわけですね。
… 終戦後、安田先生も鹿児島商業高等学校で、学生に琵琶を教えていたんですよ。戦争で、全部学徒出陣に行っていますから、だいぶ琵琶人を亡くしていますよね。
それと並行して琵琶づくりの人も老齢化して、衰退していっていますから、安田先生が、薩摩琵琶同好会の会長になられた時に、薩摩琵琶の製造の方もきちんとやらないといけないということで、県の木工試験場で復元したことがある。
そのあとすぐに木工試験場が解体されて、琵琶づくりがその時一旦中断して(その後)、塩田さんという船大工の人に引き継がれたんですよ。
それでは、このお話の続きはまた明日。