明治維新から150年の今年、維新の力を生んだ「薩摩の教え」を改めて皆さんと共に学んでいるこの番組。先週は、郷中教育において自顕流とともに武士のたしなみとされた薩摩琵琶、天吹について、鹿児島市、共研舎での活動風景を交えてお伝えしました。今週は、薩摩武士の心身をはぐくんだ郷中教育の歴史についてお伝えします。
お話は、加治木・精矛神社の宮司を務めるかたわら、薩摩武士道の精神を継承する活動に取り組んでおられる加治木島津家第13代当主・島津義秀さんです。
(島津さん) 郷中教育という名前は、旧薩摩藩領土内にしか存在しません。今で言うと、薩摩、大隅、日向国ですから、宮崎県の一部、南側を含む鹿児島県。これ以外に郷中教育は存在しないということです。
郷中教育の大きな特徴は、特定の指導者を持たない、特定のカリスマ的な大人の指導者を持たないということです。その辺の青年会、子ども会のお兄さん、先輩といった人たちが複数、後輩たちを集めて自主的に自興自立して、集っていろんなことを教えるというものです。
わかりやすく言うと、私塾とは違うということ。
吉田松陰の松下村塾や緒方洪庵の適塾、福澤諭吉の慶應義塾などは特定のカリスマがいますよね。特定の人物が指導者になって、しかも大人で、その人が中心になって教えていく。これが私塾です。
郷中教育はそうではないということです。しかも、子どもたちによる自興自立ですから、今で言えば高校生くらいまでの年齢の子どもたちがリーダーで後輩たちを教えていく、ということです。
もう一つ言えば、鹿児島は旧薩摩藩時代、江戸時代、寺子屋がほとんどなかった。これも同じような意味です。
それでは、この続きはまた明日。