薩摩の教え

郷中教育7

先週から薩摩の青少年教育「郷中教育」についてご紹介しています。

薩摩は「人を以て城と為す」と言われたように、お城は鶴丸城以外、出城でじろ=鶴丸城の外国境などの地には城を築きませんでした。従って出城の代わりに、地方にはお侍さんを派遣していたのです。

その地方のお侍さんのことを外城侍=一般には、「郷士」と呼びます。
鶴丸城下にいた城下侍と、郷士 即ち、外城侍の人数の比率は一対十。
つまり城下侍が一万人存在していたとすれば、郷士は、十万人いたことになります。

その郷士達、日常は、農業に携わっていました。
従って、郷士のことを「してべこ」、つまり、ある時は、武士としての務めを果たし、またある時は、くわで田畑を耕作する・・・と言う意味で「牛」に例えて呼んでいました。そんな任務を果たしていたので「してべこ」と呼んできたのです。

ところで、外城侍=郷士はどこに住んでいたのでしょうか?
郷士は、麓 即ち、武家集落に住んでいました。

麓という漢字は、「林」の下に、動物の「鹿しか」と書いて「ふもと」と読みます。
この麓は、元々は、大阪府・京都府・政府の「府」という字に、「本」と書いて「府本ふもと」と呼んでいました。これは、「役人が集まって仕事をする所」という意味です。

のちに「林」の漢字の下に「鹿しか」と書く、「麓」という字に変わったと推測されます。今でも鹿児島には、地名に「麓」が入っている地域が多く残っています。

城下侍の10倍に及ぶ郷士達。そんな状況のもと、「御城下」と「麓」との間で、同じ郷中教育が行われていたとは考えにくいのです。
詳しくは、また・・・

それでは、今日も、鹿児島のこの言葉でお別れしましょう。
また明日。毎日めにっごわんそ!

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