慶応4年6月28日 新政府軍 磐城地方北上
きょうは慶応4(1868)年6月28日です。関東北部の新政府軍は、会津の南東に位置する磐城地方の3藩を攻撃するため北上をはじめました。
新政府軍は、会津など奥州諸藩を討つために、関東北部の常盤平潟に兵を集結させ北上を開始。奥羽越列藩同盟側の磐城平藩、泉藩、湯長谷藩を攻撃しました。
新政府軍は、軍を二つに分け、薩摩・備前・大村の藩兵は浜街道から泉藩を、日向佐土原・筑後柳河の藩兵は、山手の本街道から湯長谷藩を攻めました。
泉藩、湯長谷藩では、それぞれの藩兵と、応援にきた仙台藩兵が応戦しましたが、歴戦の薩摩藩兵を中心とした新政府軍が勝り、泉藩と湯長谷藩は敗北。磐城地方で残るのは磐城平藩のみとなりました。
磐城は会津の東の側面にあたり、今後、新政府軍は磐城平藩を征圧したあと、会津攻略に移るとみられます。