• きばっちょいもす
  • 恒例のシリーズ「きばっちょいもす」では、元気なお年寄りを紹介します。

作曲を続ける101歳 霧島市の元バンドマン

作曲活動を続ける100歳の元バンドマン

軽やかな指さばきで鍵盤を叩く霧島市国分の岡田順介さん。1920年、大正9年生まれの何と101歳です。

まだまだ現役で音楽活動を続ける岡田さん。今は、地元・東襲山地区の公民館長から依頼された地区の歌作りに取り組んでいます。

曲の名前は「そのくい音頭」。「そのくい」とは、東襲山地区の住民が呼ぶ地域の愛称です。


友人がギターを持っていたことをきっかけに本格的な音楽の道へ

福岡市で生まれた岡田さん、筑前琵琶を作る職人だった父親の影響で幼いころからいろんな楽器に親しんできました。

そして友だちがギターを持っていたことがきっかけで、本格的に音楽の道に。ベストセラー小説『楢山節考』の作者でギタリストの深沢七郎から指導を受けたことも。

(岡田さん)「楢山節考を書いた人ですよ。あの人がギターを弾いていた。少しばかりギターを習った。20前後かな、まだ若かったからな」

戦後は福岡で進駐軍を相手に演奏しましたが、1961年=昭和36年に霧島市の旧ホテル林田温泉が宿泊客に本格的な音楽を披露するバンドを結成すると耳にします。

当時41歳、すでに歌好きの妻・春枝さんと結婚していた岡田さん、4人の子どもを連れて鹿児島に移り住みました。

バンドでは、ギターのほかにもピアノ、編曲も担当。ヴォーカルは妻の春枝さんでした。林田温泉での36年間を岡田さんは…。

(岡田さん)「林田はよかった、最高だった。年末の演芸会がよかった。うちのおばさんがバンド演奏で歌って、美空ひばりが得意だった」

当時バンドでドラムを担当していた霧島市の谷口範義さんは、岡田さんのことを今でも『先生』と呼び、慕っています。

(谷口さん)「先生は譜面に厳しい人で、細かいところを弾かないとうまくなれないと、厳しい人だった」


90歳を過ぎた頃に再び音楽と向き合う

77歳まで林田温泉でバンドマンとして活躍した岡田さん。その後しばらくは音楽から遠ざかっていましたが、90歳をすぎたころ、再び音楽と向き合うようになりました。

そして、5年ほど前に春枝さん(88)が高齢者介護施設に入所したことがきっかけで週2回、歌の伴奏を続けています。岡田さんの奏でる音楽に合わせて春枝さんも歌います。

(介護施設職員 青木昭一さん)「100歳とは思えないぐらい手さばきもよくて、とてもいい感じです。利用者が乗ってくれる、歌ってくれる感じで喜んでいる」

週末、春枝さんと過ごす以外は一人で暮らす岡田さん。健康の秘訣は、毎日夜8時に寝て、朝6時半に起きる規則正しい生活です。今でも風呂掃除など自ら家事を毎日こなしています。


創作意欲はまだまだ旺盛!元気の源は音楽

そして依頼された東襲山地区の歌が完成に近づきました。


(東襲山地区公民館 松園安廣館長)「すばらしいメロディーができて私としては非常に満足している」

しかし岡田さんは納得が行かない様子です。


(岡田さん)「ここ上がっている。まだちょっと直さないかんところがあるんじゃないかと思う」

まだまだ旺盛な岡田さんの創作意欲。元気の源音楽です。

(岡田さん)「音楽がないと私は何もできない。冥土行っても音楽をやっているかもしれない。ははは」