慶応4年7月17日 「江戸」が「東京」に改称
きょうは慶応4(1868)年7月17日です。きょう、天皇が詔書を発し、「江戸」が「東京」に名前を改めました。
天皇はきょう発した詔書の中で、「江戸は東日本で一番の都市であり、四方から物が集まる地である。自らがその政治をみるべきであり、以後江戸を東京と呼ぶこととする」と宣言しました。
この詔書によって、江戸は東京と名前を改め、行政を担う江戸府は「東京府」となりました。
ところで、新政府幹部は、保守的な公家勢力の発言力が強い京都では思うような改革ができないと考え、東京への遷都や東西二都案を検討してきました。
大久保ら新政府幹部は、京を「西の都」、江戸を「東の都」とし、表向きは二都体制をとって、実質は首都機能を東京へ集中させていくことを考えています。
きょうの江戸を東京とする詔書は、その第一段階と言えます。