「無我夢中で子どもを…」8・6豪雨で浸水した保育園 氾濫した河川は今
大規模な土砂災害や市中心部の川で氾濫が相次ぎ、死者・行方不明者は49人、およそ1万3000戸が浸水の被害を受けました。
8・6豪雨から30年。浸水から逃れた保育園職員の体験と、氾濫した河川の改修はその後どうなっているのか?取材しました。
鹿児島市原良です。甲突川沿いに広がる住宅街に、8・6豪雨で浸水した保育園があります。
(岩下さん)「大雨が降ると、あの時のことが頭によぎる」
あの日の夕方、園の職員だった岩下明美さん(62)は、園児の世話に追われていました。
(岩下さん)「ここで子どもたちのお迎えが来るまで職員2人で保育をしていた」「視界にうつった雨はダーっという感じ。降り方が違った」
当時、鹿児島市内は午後5時ごろから雨脚が強まり、2時間で180ミリを超える局地的な豪雨に。南におよそ1キロ離れた新上橋付近は、甲突川が氾濫し、人のひざあたりの高さの濁流に覆われていました。
同じ川沿いの原良保育園でも事態は急変します。
(岩下さん)「お迎えに来たお母さんがズボンをひざまでまくり上げて。『先生すごいことになってますよ』と、走ってきた」
「床の上に水が押し寄せてきて。(Q.じわじわと?)そうです。『うわっ、大変なことになった』と」
園には子どもたち13人が残っていましたが、平屋のため、浸水から逃げられる場所はありませんでした。
(岩下さん)「どこからどう避難したらいいか探して回って、ここにたどり着いた」
岩下さんの目にとまったのが、当時、園の隣にあったマンション。じわじわと水が迫ってくる中、付近を見回っていた消防士や保護者ら4、5人が協力し、園児13人を避難させます。
(岩下さん)「ここから子どもたちを上げて、バケツリレー方式でフェンスを登らせた。その時の場面は脳裏に焼きついている。無我夢中」
後日、園で目にしたのは、壁に残った高さ2メートル近い泥水の痕でした。
(岩下さん)「(近所歩きながら)もう30年前と変わってますもんね」
当時、氾濫した甲突川は、県が7年間でおよそ390億円をかけ、川底を深くするなどの改修工事を進めました。
(岩下さん)「水害があるまで甲突川をそういう目で見ていなかった。子どもたちと、魚がいるかなとか、そういう感じで見ていた。自然は良かったり、突如、豹変したりする」
甲突川のように、8・6豪雨で氾濫した河川は、この30年で川幅を広げたり、深くしたりする工事が進められてきました。
鹿児島市を流れる主な3つの河川を見ると、甲突川は改修が完了したのに対し、稲荷川は本流から水を海に流す水路の着工のめどが立っていません。そして、新川でも…。
(県河川課・福永和久課長)「工事が終わっているのは橋の下まで。ここは今から川幅を広げないといけない」
新川では川幅を広げる工事が下流側は完了しましたが、上流側の着工は早くても4年後だといいます。
(県河川課・福永和久課長)「雨が降る出水期はなかなか作業できず、川の水が工事中に入らないよう、閉め切りもしないといけない。仕事が進みにくい」
一方で、河川を改修したからといって、安心とも言えません。
例えば、鹿児島市が市内全域に避難指示を出した2019年7月3日の総雨量は、8・6豪雨の259.5ミリを100ミリ以上上回る375ミリを記録。甲突川は氾濫危険水位を超えました。
実際に鹿児島市の防災マップを見ても、氾濫の危険が無くなっているわけではないことが分かります。色のついた部分は、大雨で川が氾濫した時に浸水するおそれがあるエリアを示しています。
8・6豪雨で浸水した地域を含めて、いまだ広い範囲で被害のリスクが想定されています。
(県河川課・福永和久課長)「川の整備はするが、当然、それを上回る水害も発生しうる。地区のハザードマップ(防災マップ)を見て、避難所・経路を認識し、どう避難したらいいかを常日頃から考えてもらえたら」