ロシアのウクライナ侵攻という国の主権や世界秩序が問われるいま、自衛隊員の募集を担う鹿児島地方協力本部の本部長に就任した。
長崎出身。防衛大学卒業後、パイロットを指揮する戦術航空士として、対潜哨戒機P3Cのコックピットのシートに座った。
厚木、八戸、徳島などで航空隊の隊長や司令を歴任した。アメリカで米軍との訓練にも参加した。
今回のロシアによるウクライナ侵略は、力による一方的な現状変更の試みであり、国際社会の根幹を揺るがす行為。
一方で、「我が子を入隊させるという時の家族の心情はいかばかりか」とその心中を慮る。
「だからこそ親身になって丁寧な説明をしていかなければ」と、部下にも話している。
子どものころから長崎の海が好きで、魚釣りによく出かけた。
鹿児島への赴任は2回目。
1996年から2000年まで海上自衛隊鹿屋航空基地で勤務した。
「先輩に連れられて錦江湾にも出た。タイやアジが良く釣れ、一日でクーラーボックスが一杯になった」のはいい思い出となっている。」
「車に積もる桜島の灰には驚くが、鹿児島は焼酎の文化。日本酒の長崎とは文化が違い新鮮」と話す。
神奈川に家族を残し、単身赴任。
鹿児島暮らしを充実させたいと笑顔をみせつつ、重責を担う仕事に気を引き締める毎日だ。