毎月日本の偉人を紹介しています。
高木兼寛と森鴎外は、当時はその病気に罹ったら死に至ると言われた「脚気」をめぐって壮大な実験を伴う激論を交わし、海軍病院長だった高木兼寛の大勝利となったという人です。
高木兼寛は1849年に宮崎県は今の高岡町に生まれました。幼い時から勉強が良くできて、やがて医者となって人々のために尽くしたいという思いを強くして、18歳の時、鹿児島で蘭方医に学びます。
その後、西洋医学を学び、やがて、イギリスへ留学しますが、その猛勉強ぶりは最優秀学生として表彰され、イギリスの医師資格も取る程で、後の大きな発見へと結びつきます。
そして、明治13年に帰国後、東京海軍病院長となった高木は、長期の航海に出た軍艦の乗組員が脚気に悩まされ、心臓脚気となって死んでいくのを知り、その絶滅を志します。
この壮大な高木の研究は鈴木 梅太郎によるビタミンの発見につながり、
高木には後に「ビタミンの父」や「麦飯男爵」と呼ばれました。
そして、南極大陸グレアムランド西岸には、「高木岬」と名付けられた岬があります。
今週は日本の偉人「高木兼弘」を紹介しました。
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