
放送日:2026年6月12日
この「風の歳時記」というエッセイなのか、呟きなのか、思い付きの駄文なのか、よくわからないシリーズも、今日で100回目。毎週一回放送されているので、ほぼ2年続いたということになる。毎週一回と気軽に書いたものの、別にボクは放送作家でもないし、エッセイストなどというカッコいい職業文筆家でもない。「ちゃんとした」といえるかどうかは別として、本職らしき仕事は別に持っている。だから、上から見ても、下から見ても、ひっくり返してみても、アマチュアそのもの。試しに筆者の名前でネット検索しても、世の中を席巻しているAI=人工知能くんに尋ねても、おそらく、たぶん、ほぼ間違いなく、どこの誰かはわからない。なんだか妙な気分ではある。
そういえば、大昔、昭和の時代に「月光仮面」という子供向けのテレビドラマがあって、「どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている」というテーマソングが流れていた。「誰かは知らないけれど、みんな知っている」という、この矛盾に満ち満ちた歌が、子どもの頃、気になって仕方がなかった。可愛げのない子だった。でも、変だと思いません?「誰も知らないのに、みんな知っている」って。
ま、それはともかくとして、このコーナー、「風の歳時記」と銘打っているので、俳句を嗜まれている方は、季節感あふれる言葉が次々に登場し、俳句をひねるのには欠かせない季語を軸に話が展開すると思われたかも知れない。ところが、たまに、季語や俳句に触れなくもないけれど、たいていは身辺雑記、身の回りで見聞きした、どこにでもいるオヤジたち、あるいはボク自身の体験談に終始している。表の看板と出された料理がまるで違っていて、忸怩(じくじ)たる思いだ。本当に期待外れですみません。
正直、歳時記は好きで持ち歩いているけれど、俳句はほとんど詠まない。というか、センスがないというか、季節の移ろいや微妙な自然の揺らぎに対して感受性が鈍いというか。そもそも一言で言えば、才能がない。こういう謙虚な自覚はすごく大切で、だから、上から目線で、「いまのこの季節に、あなたは、何をどのように感じ、言葉に切り取っているのか」などと言う気にもならないし、そもそも、無理なのだ。テレビ番組「プレバト」の夏井いつきさん、俳句を詠む醍醐味をわかりやすく、はたと膝を打つように納得させてしまう力、俳句界の宣教師としての存在感、すごい人だなぁ、と感心するばかり。
で、何が言いたいのかというと、この「風の歳時記」、ラジオという古くて身近で、リスナー一人ひとりと向かい合い、語りかけるようなメディアだからこそ、100回目までたどり着くことができたんだろうな、というささやかな感慨だ。何とも言えない不安と寂しさをまとっていた受験生時代、深夜放送を聴きながら育った世代としては、やはり、ラジオは一人で耳を傾ける「ひとりぼっち」のメディアだった。電波の向こうに「いま、この時間に確かに居てくれる人」の息遣い、温もりを感じ取れるものであってほしい。先行きが見通しにくくなっているこんな時代だからこそ、建前ではなく、本音がポロポロとこぼれてしまうラジオの力はもっと見直されていいんじゃないかな。
毎週、朗読して、風の歳時記に磨きをかけてくださっている美坂アナウンサーへの感謝も込めて、来週からもどうぞ、よろしく。
MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。
読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭










