
放送日:2026年5月1日
2日前から奄美大島の安宿に泊まっていた。安宿とはいうけれど、民宿ではない。空き家になった民家に少し手を入れただけの集落の集会所だ。泊まるのはOKで、布団も風呂もあるにはあるが、食事は自前。サービスが全くない分、うるさい規則もない。何をしようと勝手し放題なので、その夜はビールと黒糖焼酎をしこたま買い込み、地元のオヤジたちも加わって飲めや歌えやの大宴会だった。朝から一日中、梅雨の走りのようなシトシト雨が降り続き、夜になって少し雨脚が強まっていたような気がする。
「あと3時間だなぁ」。禿げ上がった頭を撫でながら、地元の集落の気のいいオヤジがつぶやく。壁にぶらさがった安物の電池時計が午後9時を指していた。そうか、残り3時間か。間もなく平成が終わる。のちに総理になった亡き小渕恵三さんが、官房長官の時、記者会見で「平成」と書かれた色紙を掲げた、あの時からもう30年も経ったんだ。小渕さん、誰彼構わず、いきなり電話をしていたことでブッチフォンと呼ばれ、確か、ブッチフォンは流行語大賞になったんだっけな。昭和から平成への時代の変わり目の日は、ボクはまだバリバリの現役で、その日は泊りがけで会社に詰めていたものだったが…。
間に8月15日の敗戦を挟み、戦争と高度経済成長という対照的な歩みを描いた昭和の時代に生まれ、昭和を呼吸し、昭和を食べ、昭和と添い寝しながら、もの心がついた。もちろん、戦争は知らないものの、お祭りの日に白衣姿で立っていた傷痍軍人の姿や、裏山に掘られた高射砲陣地の跡や防空壕など、きな臭い戦争の臭いがまだ漂っていた。
家を離れてからはバブルへの上り坂の最盛期。趣味はと尋ねられて、「仕事」と答えることに何のためらいもないほど、夢中で坂道を駆けのぼり続ける。いい気になり過ぎていたのだろう。平成に代替わりした数年後、あぶくのような日本経済は破綻し、氷河期世代を生み出し、時代は長く暗いトンネルに入る。平成の30年間、そこそこ長い年月なのだが、いま振り返ってみると、平成時代のあれこれで、心の奥底の記憶の板に刻み付けられているものがほとんどないことに気づく。やはり、ボクは昭和の申し子なんだ、と思う。良きにつけ、悪しきにつけ。
そんな感慨にふけっていたら、いきなり酔っ払いの大きな声に破られた。
「おい、氷ないのか、氷、こ・お・り!!」
酔眼朦朧としたオヤジの一人が黒糖焼酎をなみなみとついだグラスを突き出している。そう、確かに芋焼酎と違って、黒糖焼酎はお湯割りより、オンザロックか水割りの方が美味しい。それにしても、今日のこの日、まもなく平成が通り過ぎ、ピリオドを打つ夜に、少しは来し方行く末を思おうとはしないものか。まぁ、酔っぱらえば、誰しも、こんなものだろうけど…。
奄美大島の西の端、集落のオヤジたちが家路につき、雨が屋根を打つ音と、すぐそばの浜辺に波の打ち寄せる音だけの世界が戻る。布団にもぐり込んでまどろみながら、平成の鼓動が徐々に小さくなり、入れ替わるように令和の産声が聞こえてきた。
7年前のちょうど今日、5月1日のことだった。
MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。
読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭










