毎月日本の偉人を紹介しています。
今月は、初代総理大臣の伊藤博文です。
西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、維新の3傑が倒幕と明治維新において大きな功績を残して、相次いで亡くなった頃、この3人に代わる次の世代として登場してきたのが、伊藤博文、山県有朋、大隈重信、板垣退助です。
伊藤博文が生まれたのは1841年。
長州藩、今の山口県に、農民の子供として生まれ、名前を林利助と言いましたが、父が足軽の伊藤家の養子になったことから、13歳の頃伊藤利助となりました。
15歳で吉田松陰の「松下村塾」で学ぶこととなり、そこで多くの先輩や友と巡り合いました。
因みに名前は、彼が兄のようにしたっていた高杉晋作がつけてくれたものです。
松下村塾で持ち前の能力を発揮し、入塾後1年経った16歳の頃、吉田松陰から京都に行って今の日本がどうなってるかその目で見てくるようにと、京都派遣のメンバーの一人に抜擢されました。
後にライバルとなる山形有朋に出会い、江戸で、桂小五郎や井上馨とも親交を結びました。
しかし、1859年安政の大獄で、師である吉田松陰が処刑されました。
友人たちと尊王攘夷に走った時期もありましたが、海外へ行って見聞を広げたいという強い思いを抱くようになり、井上馨らと共に、1863年22歳の時イギリスへ渡ります。
そして、大久保利通の側近として出世し、27歳の時兵庫県知事に就任。
なかなかすごい人生です。
そして30歳の時、アメリカやヨーロッパを歴訪した後、伊藤博文は大久保利通と政治や産業を起こす必要性を強く感じ、日本国家の近代化を達成するという思いを一致させました。
4年余り続いた大久保政権でしたが、1878年、大久保利通は不平士族に暗殺され、伊藤博文は内務卿・今の首相に任じられ、いよいよ歴史の表舞台に登場することになります。
伊藤博文は、総理大臣を4度、枢密院議長などの高い地位に就き、明治政府のリーダーとして近代国家建設に全身全霊を捧げました。
中でも特筆すべきものが「明治憲法」です。
当時、憲法など諸法典が整っていない国は、欧米から一人前の国家として扱われなかったのです。
具体的には、明治4年、アメリカに派遣された岩倉使節団が不平等条約の改正交渉を断念せざるを得なかった理由は憲法にあったのです。
まだまだ紹介したいことがあるので、続きは来月のお楽しみです。
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