
放送日:2025年12月12日
師走の風は、やはり師走の風だ。桜島の向こう、明け始めた東雲の空をベランダから眺めていると、裏山から吹き降ろす風に、背筋がブルっと震える。山奥に住んでいた頃の、歯がガチガチと鳴るほどの底冷えは感じないけれど、確かに季節は冬だな、と身体がつぶやいている。
季節が秋から冬に移る頃になると、我が家では母がお好み焼きを焼いてくれていた。ホットプレートなどというもののない時代、黒ずんだフライパンに、水で溶いた小麦粉を丸く流し込み、キャベツの千切りにモヤシ、鰹節に豚の細切れを載せて、あっという間に何枚も焼く。ウスターソースの香りがフワッと鼻をついて、それがまた、一段と食欲を誘い、一気に二枚も三枚もお代わりしていた。いまでこそB級グルメの代表格だが、当時、ヘラを使って焼きたてを食べるお好み焼きは、ちょっとした、いや、かなり非日常のお洒落な食事だった。
のちに、高校生時代になると、わずかな小遣いをポケットに、学校近くのお好み焼き屋に立ち寄っていた。自転車を店の脇に停め、ガラガラとガラスの引戸を開けると、おばちゃんが鉄板の前で忙しなくヘラを返している。油にまみれた店の漫画本を読みながら、待ちきれずに、ちらちらとおばさんの手際を目で追う。とにかく腹がすいて仕方がない年頃だった。この店で初めて、ソバ入り、ウドン入りのお好み焼きに出会った。部活帰りの高校生には、このボリュームがたまらなかった。
この秋、広島でお好み焼きを食べた。もちろん、鹿児島からわざわざ新幹線で食べに行くほど物好きではない。近くに行ったついでに、にわかにお好み焼きが食べたくなり、八丁堀という繁華街に足を向けたのだ。さすが「おたふくソース」の本場、お好み焼き王国の名にふさわしく、至るところ、お好み焼き屋の看板が並んでいる。
どうして、広島がお好み焼きの「メッカ」になったのか、調べてみると、そんなに古い歴史があるわけではなかった。昭和20年8月、広島市に原子爆弾が投下される。一面の焼け野原で、人々が食料難による餓えに苦しむ中、アメリカからの食料支援として配給された小麦粉を使い、ささやかな野菜を混ぜて作られ始めたのが、いまで言うお好み焼きの原型だったらしい。敗戦から5年後には、広島の中心部ではお好み焼きの屋台が登場して繁盛していて、あの「おたふくソース」もこの頃、開発されたという。確かに、小麦粉と鉄板を用意しさえすれば、具材は山野草でも、道端の草でも、獣の肉でも、虫でも、川魚でも、あのソースさえあれば、何でも焼いて食べられそうだから不思議だ。お好み焼きの向こうに、戦争と飢餓に向かい合いながら、人々が懸命に生きようとした日々があったんだな。
広島で食べたのは思い切り奮発して、イカ、エビ、肉、タマゴ、そば入りのデラックスお好み焼き。1480円也だった。 ちなみに、お好み焼きは季語ではない。でも、ボクの中では勝手に冬の季語として定着している。
MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。
読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭










