
放送日:2025年10月31日
もう、いつのことだったか思い出せない。20年近く前のことだったか、しばらく家を留守にして、家に帰り着いた時のことだ。ムッとした部屋の空気を解き放とうと、カーテンを開く。その瞬間、目の前の網戸にこちら向きにとまった鳥と眼が合ってしまい、思わず声を挙げたことがあった。4秒か、5秒だったか。身じろぎもしないまま、お互いに見つめ合う。
濃い灰色がかった褐色の、それは、子どもの頃から見慣れたヒヨドリだった。しばしのにらめっこのあと、こちらを向いたまま、飛び立とうともしない姿にオヤと思ったのだが、この鳥が動けるはずもないのは、当然だった。ヒヨドリは網戸にくっついた虫か木の実を獲ろうとしたのに違いない。嘴を網戸に突き刺したままの形で、身動きできず、そのまま、息絶えていた。何日か経っていたのだろう。すでに硬直してしまっていた死骸を包み、裏山に運んで土に埋め、葬ったことだった。
子どもの頃、といっても小学校の高学年くらいだったか、子供向けの源義経の伝記本を買ってもらって、しばらく読み耽ったことがあった。源平合戦で平家追討の将軍となるのだが、その中でもずっと記憶に残っているのは、「一の谷の合戦」だ。崖の下に陣を張った平家の軍勢めざして、義経の指揮する源氏の騎馬隊が一気に駆け降り、奇襲をかける。世に言う「ひよどり越えの逆落とし」である。険しい崖の上で尻込みする部下たちに対して、義経が放った言葉が「鹿が駆け降りるほどの崖なら、馬が下りられないはずがない」。このくだりだけは、妙に記憶に残っている。
う~ん、確かに仰せごもっともだけど、身軽な野生の鹿と、鎧兜姿の重い武士を乗せた馬とでは、話が違うだろうに。こういった論理のすり替え、詭弁を弄して無理を言ってくる上司がいたなぁ、と今になって思う。今は神戸市の一部であるこの「ひよどり越え」、いつもはヒヨドリたちが群れになって越える高台だったのだろう。
食べたことがないので、その味は想像しかねるが、かつて鹿児島の大隅半島の一部では蕎麦にヒヨドリの肉を入れて、醬油仕立てにして食べていたという話を聞いたことがある。鴨南蛮蕎麦が今でもあるくらいだから、野鳥と蕎麦は相性がいいのかもしれない。
カラスやスズメ、トビやホオジロ、ハクセキレイ、メジロ、ウグイスなどと並んで、ヒヨドリは子どもの頃から最も目にする身近な鳥だ。ただ、あまり好きな鳥ではなかった。「ぴ~よ」なのか「き~よ」なのか、あの甲高い鳴き声がけたたましく聞こえ、「うるさい奴やなぁ」としか思えなかった。が、網戸に嘴を突っ込んだまま、身動きできずに死んでしまうという思いがけない悲劇に見舞われた一羽と出会ってからは、この鳥にそこはかとない愛着を感じ始めている。
ヒヨドリは秋になると群れになって山から里に下りてきて、南天や梅もどきなどの実を食べるという。
〇 鵯(ひよどり)のこぼし去りぬる実のあかき– 与謝蕪村
ヒヨドリは、ちょうど今の季節、晩秋の季語でもある。
MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。
読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭










