
放送日:2025年10月3日
先月の8日だったか。久しぶりの皆既月食を観てみたいと心待ちにしていたのだが、前日の日曜日に福岡の友人から突然の連絡が飛び込んできた。「ちょっと鹿児島に行くんだが、今夜、空いてない?」。この手の誘いにはからきし弱い性格が災いして、遅くまで焼酎の盃を重ね、帰り着いたら日付変更線、午前零時が目の前。皆既月食も頭からすっ飛んで、そのまま爆睡してしまった。翌日のテレビニュースで、赤黒く染まった神秘的な月食の映像を見つめながら、ほぞを噛んだのはいうまでもない。
少しだけだが、連句をかじっている。連なる俳句の句と書いて「連句」。五・七・五の長句、長い句と七・七の短句、短い句を、複数の人たちが規則に従って交互に付けて連ねていく文芸で、室町時代の連歌が江戸時代に発展をとげて俳諧となる。松尾芭蕉にしても与謝蕪村にしても、俳諧、連句で知られた達人だった。
その連句の世界では、ただ「花」といえば「桜」を指し、「月」といえば「秋の月」。古来、月は秋をもって第一としていた。逆に言えば、秋といえば月、鈴虫でも秋刀魚でも紅葉でもなく、月こそが秋の季節の代表格だったというのが面白い。
花札には、1月から12月までのそれぞれの月に割り当てられた植物や動物が描かれ全部で48枚の札があるけれど、そのうちの8月の札には黒っぽい山の上に煌々と輝く満月が乗っかかっている。黒っぽい山をよく見ると、ススキの穂が描かれているのだが、なるほど、旧暦8月は中秋、15日の夜は中秋の名月で、月見にはススキがつきものだ。
子どもの頃、山で遊んでいて、いつの間にか日がとっぷりと暮れ、あわてて山裾の集落まで駆け降りることが何度となくあった。クマがいるわけでもなし、知り尽くした山道だから怖くもなんともない。手にした枝を振り回しながらバランスを取り、一気に麓を目指す。ふと気づくと、雑木林のまばらな枝の向こうを、見え隠れしながら満月が追いかけてくる。岩場から飛び降りると、一瞬、姿を消すのだが、また、中空(ちゅうくう)に姿を現して、追いかけてくる。ようやく森を抜け出して、せせらぎのそばの棚田まで出てくると、思い切り開けた空に眩しいほどの満月が勝ち誇ったような青白い光を放っていた。雑木林で追っかけられた時より、少し小さくなっているような気もした。
田舎暮らしだったのに、家で月見をした記憶はない。団子や栗や芋などを三方に盛り、ススキの穂を活けて月を祭るというのは、あとで時代劇や本で知っただけだ。母が興味がなかったのだろう。満月の中でウサギが餅をついているという話も聞かされたが、誰が言い出したのか。あの頃、どう見てもウサギの姿には見えなかった。
「名月をとつてくれろと泣く子かな」 は小林一茶
「名月や池をめぐりて夜もすがら」 は松尾芭蕉
そして好きなのは夏目漱石のこの句…「名月や故郷(ふるさと)遠き影法師」
毎年、中秋の名月の日は変わるが、今年は今度の月曜日、10月6日。月の高さにもよるけれど、月から差す光が海に映り、波に揺れる細長い光の道が現れるのも楽しみだ。
その晩、悪友から連絡がないことを祈りつつ。何しろ、意志薄弱で、飲み会の誘いに弱いボクだから。
MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。
読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭










