
放送日:2025年9月19日
少し盛りは過ぎたが、スーパーに行くと獲れたての濃い緑色をした糸瓜が目にとまる。同じウリ科の野菜といえば、キュウリ、スイカ、カボチャ、ゴーヤ、ズッキーニ、メロン、トウガン、ヒョウタン…。実に多種多様だが、その中でも糸瓜はもっとも庶民の暮らしの雰囲気を漂わせているように感じるのはなぜなのか。
糸瓜といえば豚肉のこま切れを加えての味噌炒めのイメージだが、実は子どもの頃、あまり食べた記憶がない。覚えているのは、母が軒下に吊るし、パリパリになるまでしっかり乾燥させた後、皮と種を取り除いてヘチマタワシを作っていたこと。あとは、夏休みが終わった頃に、枯れかけた糸瓜の茎を途中で切り、その茎の先を一升瓶に差し込んで、根気よくヘチマ水を作っていたことくらいだ。タワシにしても、手作りの化粧水にしても、確かにつましい庶民のイメージではある。
この夏、上京したついでに正岡子規の旧居・子規庵を訪ねた。JR山手線の鶯谷駅から歩いて7、8分。住宅街の一角に息を潜めるように晩年の子規の住んだ家がたたずんでいる。
正岡子規は1867年、明治維新の前年に現在の愛媛県松山市に生まれた。俳句、随筆、評論など様々な分野で作品を残した子規は、明治時代を代表する文学者の一人であり、20歳代前半から俳句の創作と並行して、過去の膨大な俳句作品を集め、その分類に没頭した。いわば、近代俳句の父といっていい。子規のことをあまり知らない人も「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の句は聞いたことがあるだろう。
子規が住んだ家の玄関を上がると、すぐに八畳の部屋があり、その左側がこじんまりした六畳間。ここが子規が他界するまで闘病生活を送った部屋だ。庭に向かうように文机が置かれている。子規が使っていた文机を木材の種類から木目、傷まで復元したものだ。目の前の庭には糸瓜のツルを這わせるヘチマ棚があり、訪れた時には、葉は茂っていたものの、糸瓜はぶら下がっていなかった。
子規は生涯でおよそ25,000句の俳句を残したが、その創作活動は死の直前まで続く。病いの床からながめた庭に咲く草花や、枕元に並べられた身の回りの品々もすべて子規の俳句の重要な題材となった。
当時は不治の病といわれた肺結核による脊椎カリエスが悪化、猛烈な痛みに苦しみ、ほとんど身動きできなくなった子規は、明治35年9月18日、「絶筆三句」と呼ばれる最後の句を詠んだ。
〇糸瓜咲いて痰のつまりし佛かな
〇痰一斗糸瓜の水も間に合はず
〇おとといのへちまの水も取らざりき
この句を詠んだ翌日、9月19日午前1時、息を引き取る。34歳と11か月の生涯だった。これらの句にちなんで、今日、9月19日の正岡子規の命日は糸瓜忌(へちまき)と呼ばれている。
子規没後123年の命日である。
MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。
読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭









