
放送日:2025年8月29日
夕暮を待って、いつものように、裏山の頂きにあるお宮の境内まで登る。お宮、といっても本殿と拝殿が一体となった、見た目2DK程度の小さなお社だ。誰が掃除をしているのか、古い二匹の狛犬が座っている境内は、いつもきれいに掃き清められているのだが、ここで誰かに会うことはほとんどない。
賽銭箱に100円玉を落とし、鈴を鳴らす。二礼二拍一礼…。手を合わせ、何かを願うことはしない。ボクが、いま、ここで、こうして生きていることに感謝するだけだ。
2か月余り前の夏至の頃の日没は午後7時半ごろだったが、8月も終わりのこの時期になると、もう6時半には夕闇が迫っている。ヒグラシの合唱に包まれる木立ちの向こう、西の空の雲が茜色に染まり始めている。「異様な」といってもいいほどのこの夏の暑さだったが、この時間になると、音もなく秋の色が忍び寄って、季節がゆるりと半回転しているようだ。
中腹まで降りてくると、鹿児島湾の向こう、南東の空には夕焼けを映した入道雲が並んでいる。その手前、はるか空の高みにはウロコ雲が浮かんで、夏の雲と秋の雲が同じ空でデュエットを奏でている。
「行き合いの空」
「行き合い」、とは、行く帰るの「行く」に出合いの「合い」。辞書で調べると「出合うこと、また、その場所や時期」とあるけれど、もう一つの意味は「夏と秋など、隣り合せの二つの季節にまたがること」。そう、夏が一気に秋になるのではなく、夏の終わりと秋の始まりが重なり合い、グラデーションとなって季節の移ろいを映し出す。そんな時期の空のことを「行き合いの空」という。どちらの季節も自己主張することなく、柔らかく、穏やかに、自然な形でバトンを受け渡す空の景色、日本語ってなんと美しいのだろうと思う。
「夏と秋と 行きかう空の 通い路は かたえすずしき 風や吹くらむ」
古今和歌集に収められている、凡河内窮恒の歌だ。あえて現代語に直せば「夏と秋とがすれ違う空の道は、片方に涼しい風が吹いているのだろう」。空には、季節の通り抜ける道があって、暑い夏が通り過ぎようとしている頃、重なり合うように涼しい秋の風がそこに流れ始める。その二つの季節が同時に共存する空が「行き合いの空」なんだね。
ある日突然、ドラマティックに季節が変わるわけではない。夏に彩られた山も海も街も里山も、鳥や虫や、そして、空も、ゆるやかに、そっと秋の季節に溶け込んでゆく。気づかぬうちに、しかし、確実に巡る季節は、人生の節目、出会いと別れの繰り返しにも似て、ボクたちの心に甘酸っぱい想いを送り込んでくれているのだろう。
8月も残り2日余り。異様といっていいほどの暑さは、まだ、しばらく続きそうだが、これからの時期、しばしば姿を見せる「行き合いの空」に小さな秋を感じてみるのも悪くない。
MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。
読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭










