MBCラジオ

「#43 時刻表」風の歳時記

撮り鉄でも乗り鉄でもなかった。そもそもカメラを買ってもらえるほど裕福じゃなかった。けれど、暇さえあれば列車の時刻表を読み耽っていた。中学生の頃、県内を走る鉄道の駅を順にすべてそらんじていたほどだ。あのまま没頭していたら、今ごろは全国全駅をスラスラと言えていたに違いない。「東京駅の13番線ホームから15番線ホームを見通せるのは、一日のうちでたったの4分しかない」――のちに、松本清張の「点と線」を読んだ時には、身震いするほど興奮した。

何年か前、JTB時刻表創刊号の復刻版が発売された。大正14年というから、もう100年も前、当時の鉄道省運輸局が編纂したものだ。奥付には「時間表の生命は正確に在り」とうたっていて、発着時刻の正確無比なること世界一といわれる日本の鉄道の誇りが、この頃から息づいている。

鹿児島県内のページを開いてみる。鹿児島駅を起点に隼人、吉松、人吉から八代、さらに博多、門司駅へと走る鹿児島本線、他に支線として鹿児島・米ノ津間の川内本線、その川内から樋脇までの宮之城線、栗野・山野間の山野線、都城・志布志間の志布志線など。

おや?っと思われたかもしれない。そう、100年前に鉄道で九州を北上するには、いまの肥薩線ルートを経由するしかなかった。九州新幹線が並行して走る鹿児島線が開通するのは昭和2年のことだ。では、なぜ山の中を走る肥薩線が九州の南北を結ぶ主要ルートとして最初に建設されたのか…。九州山地を越える急勾配で、こんな山の中を走らせるより、鹿児島から川内、出水、八代と向かう、いまの肥薩オレンジ鉄道、鹿児島線ラインの方が合理的と考えたくなるのも自然だろう。

 よく聞く話として伝わっているのが「軍部が、海岸線に線路を敷設すると艦砲射撃の標的となることを懸念した」という説だ。日清、日露戦争を戦った直後という時代背景もあり、もっともらしく広がったけれど、本当だろうか。確かなことはわからないが、鹿児島駅と八代駅間の距離を調べると、西回り、つまり海岸沿いは163㌔に対して山回りは155㌔と短い。山は難工事とは言うけれど、肥薩線のかなりの部分は球磨川沿いに走っていて、一方の西回りだって水俣に三太郎峠の難所を抱えている。そもそも当時、本土が砲撃されるほど敵の軍艦が近づけば、その時点で、すでに負け戦じゃないのか…。結局は、最短ルートであることと、宮崎へのアクセスにも配慮した、ごく当たり前の判断だったんじゃないかな…などと、しばし、考え込む。

この大型連休も家でゴロゴロ。どこに出ることもなく過ごしている。まだ見ぬ土地に心を馳せ、この先続くであろう様々な出会いに胸をときめかせた「あのころのボク」は、いったい、どこに行ってしまったんだろう。

「銀河鉄道999」…終着駅に到着した際に、メーテルが鉄郎に別れを告げる。「私はあなたの思い出の中にだけいる女。私は…あなたの少年の日の心の中にいた青春の幻影」と。 青春の幻かぁ…。1世紀も前の時刻表をめくっていると、きっと空耳なんだろうな、遥か彼方から、SLのドラフト音と鈍い汽笛がかすかに聞こえてくるような気がするのだ。

MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。

読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭

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