MBCラジオ

「#41 サルと壺」風の歳時記

生意気盛りだった。が、それでも、少々くたびれて、世の中のさまざまなことに高を括っているオヤジになった今よりも、まだまだピュアな心を残していた。

高校時代の教室でのことだ。いつも苦虫を嚙みつぶしたような顔で、滅多に笑顔を見せない、生真面目をとことん煮詰めて結晶にしたような漢文の先生がこんな話をした。

「一匹のサルがいた。目の前には好物の豆が入った壺がある。サルは豆を食べようと、やっと手が入るほどの壺に手を差し込み、中の豆をつかもうとする。ところが豆を握りしめた拳では壺の口から手を抜くことができない。さぁ、豆を食べたいという欲と、差し込んだ手を解放するのと、どちらをとるか。あちらを立てれば、こちらが立たない。世の中には、そんな解決できない悩ましいことがたくさんあるものなんだ…」

 クラスメートは、みんな、黙ってうなづきながら聞いている。ボクはといえば、先生の話に「ん?」といった感じで首をかしげていた。いや、覚えてはいないが、たぶん、納得できない表情をあからさまにしていたのだろう。「おい、おまえ、何かあるのか?」と、いきなり指さされた。

 万事休す。直感的に思ったことを正直に話すしかない。

 「あのぉ、豆を握ったまま、壺を石か何かにぶつけて、割ってしまえばいいんじゃないかと…豆も食べられるし、手も自由になるし」

 教師は大きな溜息をついて、無言で話題を変えた。ひねくれた子だと思われたんだろうな。授業が終わった後に友人が言った。「おまえ、バカか。壺を割っていいんだったら、そもそも、手を突っ込む前に壺を叩き割って中の豆を食べるだろうが」

つまり、壺を割りたくない、割ってはいけないというのが暗黙の前提になっていることを、ちゃんと理解しろ、という忠告だったのだろう。

 美味いものを思い切り食べたい一方でダイエットもしたい。お互い仲の悪い上司二人から全く正反対の指示が飛んできた。さぁ、どうする。意見が割れて険悪な状態になっている妻とオフクロのどちらの肩を持つべきか。仲のいい友人同士のケンカの仲裁に入るのも似ている。たいていは、後味の悪さが残る。サルではないけれど、「あちら立てればこちらが立たず」という悩みは、この人生、世間の至るところに転がっている。最近の言い方だとトレードオフの関係。世の中ってそういうことばかり、というのは確かにかつての先生の言う通りだろうと思う。

 春の街を歩いていると真新しいスーツに身を包んだ若者たちが目に留まる。社会人1年生のはつらつとした笑顔が眩しい季節だ。豆も食べたい、手も放したい、ついでに壺も割りたくない…。彼ら彼女らも、そんな面倒な方程式にこれから悩まされ続けるのだろう。

でも、心配することはないんじゃないかな。かつての生意気盛りのボクの発想のように、手と豆と壺のどれか一つを思い切って捨てれば、まぁ、とりあえず、解決する。よくよく考えたら、人生って、何を捨てるか、何を諦めるかの選択ばかり。豆をどうしても食べたかったら、壺を思い切って割るだけのことだ。

割れた壺は二度と元には戻らないけれどね。

MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。

読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭

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