
放送日:2025年3月28日
明日3月29日は新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった志村けんさんの命日。家族に看取られることもなく、まるで戦死者のように白木の箱に入って帰ってきた映像が痛々しかった。あれから5年…。ずいぶん長かったような気もするし、あっという間だったような気もする。
中国の武漢で原因不明の肺炎患者が増え始めのは、2020年の年明け。見る見るうちに新型コロナウィルスは地球上に飛び散り、10日後には日本で初めての患者が発生した。全国でマスクが品薄になり、2月には横浜港に入ったダイアモンド・プリンセス号で次々に乗客が感染、この船は鹿児島にも寄港していて大騒ぎになる。新型コロナ感染症が2類相当から季節性インフルエンザ並みの5類に移行するまでの3年間、世の中は自重、自粛、我慢、警戒、遠慮、諦めに塗りつぶされた重苦しい毎日だった。
それほど潔癖な性格ではないのだが、あの頃、指紋が消えてしまうのではないか…そう心配してしまうほど手を洗っていた。帰宅時、食事前、もちろん用足しの後、1日に10回以上、石鹸を、消毒液を、指にこすりつけ、30秒を数える。「マスクを肌身離さず」というのも花粉症と縁の薄いわが人生、もちろん初体験。 清潔指向といえば聞こえはいいが、ほとんど、これは不安神経症だったとのではないかと、今にして思う。
そういえば、アベノマスクなるものも届いた。あれには、参った。噂通り、確かに小さい。「小学生の頃、給食当番の時はこんなマスクをしていたなぁ」と同年輩の友人が懐かしがった。その頃はガーゼではなく、木綿だったかな。たまに持ち帰ると、母が洗って干してくれてはいたが、いつもは給食のパン屑にまみれて教室の机の中に丸め込まれていた。手はめったなことでは洗わない。落とした飴玉は土を振り払って、そのまま口に入れた。大人の目を盗んでもぎ取った柿も蜜柑もトマトも、薄汚れた学生服の袖口でぬぐって食べていた。たまにお腹をこわして、唸ることもあったけれど、とにかく、まずは、たいていの子は無事に育っていた。
その頃、アレルギーという言葉を知らなかった。至るところ杉やヒノキに覆われた村なのに、花粉症の子供もいなかった。アレルギーが増えた原因はいろいろ言われている。そもそも、その頃と違うのは家のつくりだ。昭和時代と違って、最近の家は密閉され、空調が利き、木材、建材の多くに防腐、防虫、抗菌などの化学物質が使われているらしい。食品添加物や食べ物を作る段階での農薬、抗生物質、ホルモン製剤などの使用も一因なのか。
最近の「抗菌ブーム」はすさまじい。枕、布団、タオル、ブラシからサンダル、手袋、文具まで、通販サイトを覗いたら抗菌グッズがずらりと並ぶ。暮らしの中にこれほど殺菌・抗菌をアピールする商品が氾濫すれば、おかしくならない方がどうかしている。
確かに日本人の「きれい好き」はその通りだが、もともと、細菌やウィルスとまなじりを決して対峙するという姿勢ではなかった。雨の多い気候に恵まれ、ふんだんな水と親しむ中で培われた「程よく流し去る思想」があったのだとも思う。異様なまでに抗菌にこだわり過ぎると私たちが持っている自然な免疫力まで弱ってしまうのではないか。コロナ禍が始まって5年の春。そろそろ、かつての大らかで、自然体の暮らしに戻りたいと思う。
MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。
読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭









