
放送日:2025年3月14日
記憶中枢に霞がかかるようになった。昨日のお昼、何を食べたのだか、脳細胞を叩き起こして、一巡り、二巡りさせないと思い出せない。食べたことは、ちゃんと覚えているから「まぁ、いいか」と自分を納得させる。そんな記憶の霞の向こうで、朧ながらにも、くっきりとした輪郭で思い出せる光景がいくつかある。ずっと以前、奄美大島での記憶だ。
当時の県立図書館奄美分館は、いまの県立奄美図書館の川を挟んだ向かい側あたりにあったように覚えている。まだ大人になりたて、ほかほか、炊き立ての若者だった私は、その分館の、確か分館長室だったのだろう、作家の島尾敏雄さんの話に耳を傾けていた。
島尾さんはそれまで「死の棘」で芸術選奨、さらに「硝子障子のシルエット」で毎日出版文化賞を受賞、戦後作家としての立ち位置を確かなものにしていた。
その島尾さんと何を話したのか。実はそれも記憶の闇に沈んでしまっているのだが、おそらく、日本列島の大和からではなく、南に連なる島々、琉球弧から世界を捉え直そうとする島尾さんのヤポネシア論について耳を傾けていたのだろう。
薄日の差す分館長室で、島尾さんは、親子ほども年の違う若者、つまり、その頃の私に対して、ひたすら穏やかで、優しかった。終戦の前の年、昭和19年の秋、特攻艇「震洋」隊の指揮官として加計呂麻島に赴任、終戦2日前の8月13日夕刻に出撃命令を受けたものの、敵艦隊が姿を見せず、発進命令を受け取らぬまま15日に敗戦を知る。すさまじくも苛烈な体験、そして、島の少女・ミホさんとの運命的な出会い…戦争を知らない世代の私は随分、緊張していたのだろう。島尾さんは終始、子供に話して聞かせるような柔らかさで向かい合ってくださった。
たった一つだけ、覚えているやりとりがある。
「これだけ著名な作家でいらっしゃるのに、どうして、ずっと奄美に? 東京の文壇には興味はお持ちではないのですか?」
一瞬、島尾さんの眼が光ったように思う。島尾さんは、おもむろに机の上の紙を一枚手に取り、その中心部をボールペンで突き刺した。紙の真ん中に小さな穴があいた。
「あのね、この小さな穴から夜空を覗いたら、ここ奄美からでも満天の星が見える。どこにいても、この針の穴から宇宙が見えるんだよ」
経済成長真っ盛りの時期。誰もが大都市へ、中央へと夢を膨らませ、見果てぬ繁栄、豊かさの幻を追いかけていた時代。多くの若者が憑りつかれたように首都・東京に流れ込んでいた。そんな若い人たちの心の内を見透かしながら、諭すような一言だった。
そう、どこにいようが、見ようとしなければ、見るための穴を開けなければ、世界も宇宙も、おそらく人生のありようも見えはしない。島尾さんの手にしたボールペンで軟な心を突き刺された気がして、その言葉だけがうれしく、愛おしく今も残る。
若者たちの旅立ちの季節が巡ってきた。故郷を出るのも悪くはない。でも、どこで生きようが、本当に大事なのは、あなたの心の紙に小さな穴を開けることなのかもしれない
MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。
読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭










