MBCラジオ

「#34 山菜の苦味」風の歳時記

さらさら、ちゃぷちゃぷと音を響かせながら、畦道の奥の小さな谷からの水が増えてくると、心が軽く弾み始める。ほんの少しずつなので気づかなかったけれど、降り注いでくるお日さまの朝の光が、いつの間にか、目に眩しくなっている。

「春は光から」。

誰が言い始めたのか知らないが、頭のてっぺんから背中、両手の指先まで、日の光の優しさをかすかに感じとって、あぁ、そうだ、春を「いの一番」に運んでくるのは光なんだと深呼吸する。あの頃のボクは、オヤジになった今のボクと比べると何と繊細だったことか…。

辺鄙な村で暮らしていたボクたちは、この季節になると急に野遊びの時間が増えていた。裏山からのせせらぎには、セリが茂り、野生のワサビには小さな花がついていた。その流れの脇にはフキの群れが若く柔らかな葉を少しずつ伸ばし始めている。今では野趣に富む山菜として珍重されるのだろうが、当時のガキ仲間は、もちろん、何の興味もない。その場で生で食べられるもの以外、まったく関心の埒外だった。

 世の中に出て、働き始めてどれくらい経った頃だろう。先輩だったか、友人だったか忘れたが、数人で小料理屋の暖簾をくぐった夜。味噌とも佃煮ともわからぬ小鉢が出された。「これ、なんですか?」とたぶん、女将に尋ねたのだろう。それが「蕗味噌」という名前と味を知った初めてのことだった。

唇から歯を抜けて、舌先から舌の側面、そして、口の奥へじわじわと広がるザラリとした感触と味噌の甘み、その後を追いかけるようにフキの優しい苦味がやってくる。かつて、ボクたちが見向きもせずに走り回り、踏みつぶしていたフキノトウが目くるめくような変身を遂げていた。どうしてオフクロは作ってくれなかったんだろう、と少し恨んだ。茹でて灰汁抜きし、細かく刻んで、炒めて、味噌やしょう油、みりん、砂糖などと和えるのが面倒だったんだろうな。それとも、この子には、このほんのりとした苦さの大人の味わいがわからないだろうと気を利かせてくれていたのか。

「春の皿には苦味を盛れ」 という。

苦味のある春の山菜は、冬の間に溜め込んだ老廃物を体の外に出すのを手伝ってくれると。そして、苦味成分のひとつ、ポリフェノールには抗酸化作用があり、身体を老化させる活性酸素を抑えてくれる…などと料理本には書いてある。

そんなことはどうだっていいのだが、これからの季節、ウド、フキ、フキノトウ、ツワブキ、タラの芽、ツクシ、ワラビ、たけのこ、セリ、ミツバ、ゼンマイが次々に顔をのぞかせる。どれもこれも、強烈に自己主張してみたり、ちょっと遠慮がちにほんのわずかの「苦味」を添えたり。さまざまなトーンで苦味のシンフォニーを奏でてくれる。

淡い緑のガクに包まれて、小さな蕾がいっぱいに詰め込まれていたフキノトウ。そんな幼い頃の記憶をたどっていたら、「孤独のグルメ」ではないけれど、急にお腹がすいてきた。

蕗味噌は、お握りに塗って、炭火で焼いて食べても絶品なんだよな。

MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。

読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭

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