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「#23 年賀」風の歳時記

「#23 年賀」風の歳時記

「切り抜き」が趣味という友人がいる。切り抜きと言っても、花や犬や月の形に紙を切り抜いて台紙に貼り付ける、あの切り絵ではない。いまの時代であればコピー&ペーストで瞬時に済ませるのだろうけれど、彼はせっせと新聞記事をハサミで切り抜いている。そういえば、かつては、気になる記事を切り抜いてスクラップブックに貼り付けていたが、かさばって仕方がないので、私はいつしかやめた。典型的な昭和のオヤジである友人は、律儀に若い日の習慣を守り続けている。エライもんだ、と思う。

その友人が、二年前の新聞投書欄に掲載された10歳の少女の投書を見せてくれた。

「わたしは、年賀じょうを毎年5まい以上は出すようにしている。どうしてかというと、5まい以上出さないと、新しい年が始まる感じがしないからだ」と記して、こんな風に続く。「ようち園の先生に年賀じょうを出すと、少しおくれて先生からとどく。内ようは

『年賀じょう、ありがとう』などだ。わたしの年賀じょうがとどいていから送ったということだ。それは、出すのがおくれただけかもしれないけど、最初からわたしに出すつもりはなかったのかな、したしく思っているのはわたしだけなのかな、と心配になる」

小学校の4年生くらいだろうか。この女の子の投書を読みながら、「わかるよねぇ、この気持ち」と友人とうなづき合う。

毎年、ずいぶんな数の年賀状をやりとりする。若い頃は、こんな惰性で続けている習慣はやめてしまえばいいのに、と思っていたが、年齢を重ねると、会うことも少ない遠方の縁戚、友人に年に一度の近況報告も悪くはないな、と思い直すようになった。

最近は、年末近くになると賀状じまいの葉書も届く。企業、団体ならまだしも、個人が「SDGs、地球環境問題」にかこつけているのは「ウソでしょ?」と興ざめだが、大先輩から「寄る年波で…」というのは理解できる。

もう一つ白けるのは、宛名も裏の謹賀新年の定型文もすべて印刷しただけ、自筆ゼロで届く年賀状だ。たとえ一行でも自らの筆で添え書きすることができないのだろうか。年に一度、新しい年の始まりを前に、一言を書き添える。そのわずかな時間だけはお相手の姿を記憶の底から引き出しながら、その人の「いま」に思いを巡らせる大切なひとときだからだ。電源ボタンを押して、すべてパソコンとプリンターに任せるだけなら、無駄なハガキ代を使うことはない、出さなければいいだけのことだ。想いのカケラも詰まっていないのだもの。

幼稚園の先生からの年賀状、遅れて届いたばかりに、10歳の少女は「最初から私に出すつもりはなかったのかな。親しく思っているのは私だけなのかな」と心を惑わせる。考えてみれば、年が明けると、私たち大人もまた同じ思いに悩まされる。「まぁ、いいか」とすぐに忘れて、やがて、またまた賀状書きに急き立てられる師走を迎えてしまうのが現実なのだけれど。

葉書代も値上がりしたことだし、年が改まったら、今度こそ、出す人、出さない人、思い切って整理しなくちゃ。と言いつつ、また一年後も、きっと元の木阿弥なんだろう

MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。

読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭

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