
放送日:2024年10月25日
「あれは、新鮮な体験だったねぇ…」
稲の刈り入れも、そろそろ終わりに近づいてきた。黄金色に輝いていた田んぼが丸裸になった。切り株からわずかに立ち上がった「ひこばえ」が秋の終わりを告げている。
子供のころ、集落にはパン屋がなかった。山あいの寒村だから当たり前だけれど、ごくごくたまに、ロバに荷車を曳かせた移動パン屋さんが、「クシコスの郵便馬車」の曲を流しながらやって来ていた。あの都会色にまぶされた甘い香りのまぶしかったこと!
それはそうだろう。大人の眼を盗んで畑でトマトやウリを頬張り、それでもお腹を空かせて、家に帰るなり、台所に直行。冷やご飯をお椀についで、朝の残りの冷えた味噌汁をぶっかけて、搔き込むように食べていたんだもの。何もぶっかけるものがなければ、ご飯だけを…。噛めば噛むほど、お米の奥深い甘さが口の中に広がって、満ち足りたひとときだった。
豊芦原瑞穂の国、とは日本の国の別の名前。「瑞穂」とはみずみずしい稲穂のことだ。稲が朝鮮半島からやってきたのか、それともジャポニカ原産地の中国南部からダイレクトに九州に入って来たのか、黒潮に乗って南方から流れ着いたのかは知らない。でも、古来、日本列島の人々は、異常なまでにコメを尊び、敬い、白い小さな米粒に「生きる力」の源を感じ取っていたようだ。何より年貢はコメだったし、いまでも神事に稲穂はつきものだし。
この夏、8月頃からだっただろうか。スーパーの棚からお米が消えて、値段が急に跳ね上がった。「令和の米騒動」と大騒ぎになったけれど、なぜ、こんなことになったのだろう。米の作況指数が100を超えていることが、必ずしも生産量を保障するわけではない。どんなに作況がよくても、田んぼの面積が前の年より減ればその分、収穫量は減る計算だ。実際、去年のコメの作付面積は前の年より9000ヘクタール減っている。
インバウンドが増えたのも原因といわれる。でも、この8月、日本を訪れた外国人の数は過去最高とはいっても300万人足らず。この人たちが1週間、やみくもにお米を食べ続けても全体の1%にも満たない。何が何だか、結局はよくわからない。この夏の米騒動は本当に不思議な現象だった。
この国の人たち、つまり私たちのご先祖たちは、2000年以上の歳月を費やしながら、黙々と山あいを切り開き、石垣を組み、用水路を作り、棚田を広げ、里山を調えてきた。そんな先人の知恵も技術も、ここ数十年、あっという間に消えてしまった。鹿児島の田舎に足を運ぶと、いたるところ、米作りや野菜作りをやめた土地が放置され、セイタカアワダチソウやススキの茂るにまかされている。
高度成長期をひた走り、バブルに浮かれ、「失われた30年」とやらを通り過ぎ、そして、ふと思うのは、私たちはいったい、どんな「豊かさ」を目指してきたのか、というやるせない自問自答だ。そろそろ「幸せの物差し」を見直したほうがいいような…。
ふんわりと湯気の立つ、炊きたての新米のうまさは、とても景気や経済の数値でははかれない。
MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。
読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭










