
放送日:2024年9月6日
「あれは、新鮮な体験だったねぇ…」
穏やかな眼差しで、ゆっくりとひと言ひと言嚙みしめるように初老の男性は話し始めた。その年に禅宗のお寺で得度し、頭を剃り上げたばかりだ。
「草鞋に袈裟を着て托鉢に出る。足の指が凍えて、寒くてねぇ。あれは大変な修行だね」。
実はその二年前、私もたまたま若いお坊さん十人ほどと真冬の街を托鉢に歩いたことがあった。私の場合は仏門に入ったわけではなく、当時の禅ブームに惹かれて、わずか一週間ほど体験入門しただけ。それでも、日々の座禅、掃除、食事の作法など禅寺の厳しい営みをある程度は実感することができた。
「いやぁ、もちろん辛かったが、でもね、そんな中で遠くから私の、というか、傘をかぶっているから私のことを知るはずもないが、おばあちゃんが駆け寄ってきて、掌を合わせたあと、チャリンと鉢の中にお金を投げ入れてくださってねぇ」
そう語ったのは、鹿児島出身の稲盛和夫さん。後に、稲盛さんは日経新聞の「私の履歴書」でこんな風に書いている。
「戸口でお経をあげ、お布施をもらう。慣れない托鉢を続けていると、わらじの先からはみ出した指が地面にすれて血がにじんでくる。道の落ち葉を掃除していた年配のご婦人が寄ってきて、『大変でしょう。これでパンでも食べて下さい』と百円玉を恵んでくれた。それを受けた時、私はなぜか例えようのない至福の感に満たされ、涙が出てきそうになった。全身を貫くような幸福感、これこそ神仏の愛と感動した」
当時、稲盛さんは自ら創業した京セラの総帥であり、第二電電、後のKDDIを立ち上げたばかり。「まったくお金に困っていない私がですね、いただいた百円玉に心を震わせられたんです」と何度か繰り返した。
「ただの人」として、といえばいいのだろうか。仏門に入った時の稲盛さんは権力も社会的なポジションも富も、すべて捨て去った一人の修行僧だったに違いない。そうした「名もない私」に身を置くことで、その後の稲盛さんの経営哲学の軸となる「利他の心=自分以外の他の人、他者を利する心」に行き着いたのではないか。そして、もう一つ、いかに謙虚に生きるかということも。
稲盛さんとお話したのは一回きりだったが、禅という共通の話題でずいぶん盛り上がったような気がする。
とんでもない残暑が続いた令和6年の夏。地球温暖化どころではない、地球沸騰化という言葉にふさわしい異様な日々だった。ありとあらゆるエネルギーを使い放題に使う一方で、水にも食料にもありつけない貧しい国々の人たちが今日もうめき声を上げ続けている。
ひたすら使い尽くし、食べ尽くし、奪い尽くし、飽きることを知らない私たち人間。その末に行き着いた「地球」という名の惑星の惨状をどう見てらっしゃったのだろうか。
亡くなって2年、生前の稲盛さんにお尋ねしたかったと思う。
MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。
読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭










