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「#8 雲の峰」風の歳時記

「#8 雲の峰」風の歳時記

どうやら夏風邪をひいたらしい。

ソファに横になってぼんやりと外を眺めていると、積乱雲が窓枠を押し広げるように湧き立っている。夏の季語、「雲の峰」とはよく名づけたものだ。桜島の南側、遥か彼方に、さながら山々が列を作るように、入道雲が肩をいからせ、整列している。この夏の異様な暑さに溜息をつきながら、キノコのようにモクモクと生えてくる雲たちを飽きもせず見つめ続ける。

そうだったなぁ…。遊び疲れ、ランニングシャツ一枚で川岸に寝ころび、ぼんやり雲を見ていた子どもの頃を、昨日のことのように、思い起こす。あの頃は煩わしいあれこれを何も引きずっていなかった。太陽の差すような光を全身に浴びて、吹き抜ける風がただただ心地よかった。

「雲の峰」は夏の季語、とは言ったものの、もう8月も下旬。暦の上では8月7日が立秋だから、いまのこの時期は、もう秋。そう、秋の初め、初秋ということになる。

この初秋が、秋の盛りの仲秋となるのは旧暦の8月1日、八朔(はっさく)の日で、いまのカレンダーでいうと今年は9月3日にあたる。

その計算だと、初秋もあと10日ばかりで終わって、季節は秋真っ只中に足を踏み入れていく。

八朔と聞くと、柑橘類の果物を思い浮かべる人も多いかもしれないが、これは八月の朔日(さくじつ)という意味。朔日とは一日(ついたち)のこと。毎月の終わりの日を晦日(みそか)というようなものだね。旧暦の8月1日は稲穂が実り始める時期で、来たるべき収穫の実り多きことを祈って、古くから各地で「豊作祈願」の八朔行事が行われてきた。

鹿児島では三島村の硫黄島八朔太鼓踊りが知られている。この祭りを知らなくても、祭りの最中に登場する,邪気を追い祓い,幸いをもたらす天下御免の仮面神「メンドン」の名を聞けば、思い当たる人もいるかもしれない。

観測史上の最高気温の記録が次々に塗り替えられ、テレビ、ラジオが「生命に関わる暑さへの警戒」を連呼したこの夏の猛暑、酷暑。でも、お盆を過ぎてから、そういえば、日が陰るのを待つように、家の裏山から虫の音が聞こえ始めている。昼間のツクツクボウシの追い込まれたような切迫感あふれる鳴き声と違って、まだまだ遠慮がちだけど、確かな足取りで秋が忍び寄っていることを伝えてくれる。

熱が少し収まったので、ちょっと外に出てみる。ゆっくりと裏山への遊歩道を歩く。すれ違ったジョギングのオジサンと会釈を交わす。

「外出して大丈夫?ひょっとして新型コロナかもしれないのに…」

と叱られそうだが、はい、大丈夫。新型コロナには1か月ほど前に罹ったばかりだもの。

裏山に登りきり、黄昏の丘で途切れ途切れの虫たちの声に耳をすませる。街に明かりが灯り始めた。雲の峰はいつのまにか見えなくなっていた。

MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。

読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭

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