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「#6 原爆忌」風の歳時記

「#6 原爆忌」風の歳時記

どこまでも抜けるような青空、ジリジリと焼けつくような真夏の日差し。

実をいうと、晴れ上がった夏の朝は、あまり好きではない。

理由は、そう…はっきりしている。

昭和20年といえば、人々の記憶がセピア色に変色しかけている遥か昔。その年の夏、彼女は古里を離れて、福岡県の小倉市、いまの北九州市小倉北区で働いていた。彼女が育ったのは長崎。その年の春、高等女学校を卒業したばかりだった。当時の小倉警察署に事務員として勤め、戦後、今は亡き夫と結婚し、長男が生まれる。

その彼女は、息子がもの心ついた頃に、よく、言って聞かせたものだった。

「もし、あの日、小倉が晴れていたら、いまのあなたは、いないのよ」と。

そう、昭和20年8月9日…長崎に原爆が落とされた日。この日、テニアン島を離陸した米軍の爆撃機は、屋久島上空から大分を北上して原爆の第一投下目標の小倉市の上空へと侵入する。目標である陸軍小倉造兵廠の上空にさしかかったものの、乗組員が投下目標の確認に失敗した。その後、別のルートで再び小倉上空へ。しかし、再び失敗、3度目にチャレンジしたが、これも失敗。この間およそ45分が経過していた。原因は、この時、小倉上空をたまたま雲が覆って、 投下する目標が見えなかったためだ。

米軍の爆撃機は、残りの燃料を気にしながら、止むなく、第二目標だった長崎市へと向かう。広島に続く人類史上二発目の原爆が長崎市浦上の上空で炸裂したのは30分後、午前11時2分のことだった。

最初の投下目標だった小倉造兵廠に隣接していたのが彼女の働く小倉警察署だった。当初、予定通りに投下されていれば、ひとたまりもなく、彼女は生きた痕跡さえ残せなかっただろう。たまたま雲が上空を覆っていたという、その偶然によって、彼女は救われ、代わりに長崎の親族や友人の多くを失くすことになる。

彼女とは、一昨年亡くなった母のことだ。

「あの日、小倉が晴れていたら…」

母の言葉は、その頃はまだ多感な中学生だった私の心を捉えて離さなかった。原爆は晴れた日にしか落とされないのだと、そう思い込んでいた。以来、雨や曇りの日は妙に安心する変な子供になった。米ソ冷戦、核軍拡競争がエスカレートしていた時代だった。

国策の結果として、理不尽な死を強いられた人たちは、二度と再び戻ってくることはない。「もしあの日、小倉が晴れていたら」という母の一言は、「もし、あの日、長崎が曇っていたら」という故郷・長崎の原爆犠牲者たちの無念を代弁していたのではないか。いまになって、そう思うようになった。

あの日から79年の朝を迎えた。

MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。

読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭

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