
放送日:2024年7月26日
例年にない酷暑の夏。
この時期、ふと思い出すのは子どもの頃の「夏休みの友」という冊子だ。半分は教科ごとの簡単な宿題、そして日記帳も付いていた。起きた時刻、寝た時刻、その日の天気、ラジオ体操に行ったかどうかに加えて、その日の自分の行動を書き綴る。
いまのように塾の夏季講座もスポーツ少年団の練習試合や合宿も、家族そろっての旅行もほとんどなかった時代、日々、野原や畑や山や川で同じように同じ顔触れの仲間と駆け回り、真っ黒になって遊び惚(ほう)けているのだから、書くことがない。書く気もない。あるはずがない。
いずれ8月の暦が尽きそうになり、大慌てで日記や、漢字、算数のドリル、読書感想文や自由研究などという重荷が一気にのしかかってくるのは、もちろん、わかってはいた。が、ボクたちの小さな脳細胞は、「いつかは終わる夏休み」という紛れもない確かな事実を、ことさらに無視し続ける。長い休みに入ると同時に、脳細胞は夏休みを無限に続く千年王国のように錯覚してしまっていたのだ。
時間は無慈悲だ。やがて、周りの森や林からヒグラシの大合唱が聞こえる頃になると、ボクたちの脳細胞はにわかに目を覚ますことになる。そして、サボった末の「つじつま合わせ」という悲惨な現実と向かい合うことになった。
とくに日記は論外だった。過去1か月余りもの出来事を思い出せるはずがない。日々、同じように遊び惚けただけだもの。家族で海水浴に行ったり、入院した祖母ちゃんの見舞いに街の病院まで行った日がいつだったか、は両親に聞いて何とか書けた。あとは白紙…というわけにもいかないので、「お父さんが水虫になって痒い痒いと言っていた」「お母さんがスイカを買ってきてくれた。美味しかった」「隣のマコト君が田んぼの肥溜め(こえだめ)に落ちた。臭かった」「街路灯の下にいたらカブトムシが獲れた」。翌日は「オニヤンマが獲れた」、次の日は「クワガタが獲れた」…などといういい加減な記憶の断片を日付に関係なく、一言で一気に40日分書きなぐる。もちろん、記憶のかけらだけではとても日数に足りない。結果、半分以上はウソだらけの日記だった。
それでも一番困ったのはお天気。いまのようにネットで検索すれば、たちどころに過去のお天気の記録が目の前に現れる時代ではない。でも、これは、心配なかった。たいていは女の子だったが、いつの時代でも、どこにでも、きちんと真面目に与えられたミッションを実行する救いの女神がいるものだ。彼女のお天気記録がすべてを解決してくれた。
ボロボロの状態で迎えた二学期の始業式。名前を呼ばれ、悪びれもせず、宿題を先生に差し出す。自由研究だった「村の植林のあゆみ」はほとんど母が書いてくれたこと、日記の半分は大噓であること、天気は友だちの丸写しであること、先生はすべてお見通しだったと思う。時間の残酷さをものともせず、夏休み最後の数日間でやっつけ作業をこなし、ニコニコとして恥じる風もないボク。この子は「つじつま合わせ」だけは達者な子だと見抜いて、いつか大失敗をしでかすのではないかと心配してくれていたような気もするのだ。
MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。
読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭










