MBCラジオ

「#52 夜の口笛」風の歳時記

仕事を終え、夕飯を済ませると、抽斗(ひきだし)から古ぼけた木箱を引っ張り出して、縁側に出る。木箱には、長年使ってきた大小さまざまの小刀やヤスリが入っていた。暇を見ては、砥石で磨き込んでいるので、恐ろしいほど先が尖っている。その刃先を指でチョンチョンと触れた後、乾燥させたクロモジの木の枝を手に取って削り始める。背を曲げ、老眼鏡を鼻眼鏡にしたまま、黙々と小刀を滑らせ、ツマヨウジを作るのだ。それが、父の夜の日課だった。縁側の隅の皿の上に置かれた渦巻き型の蚊取り線香がくすぶっていた。

ツマヨウジだけではない。印鑑も自分で彫っていた。足の指の間に小さな丸い木を挟んで、小刀とキリを使って名字の逆文字を彫り進む。自然、我が家にはさまざまな書体の漢字、ひらがな、カタカナの印鑑があふれ、暇に飽かして会社の後輩や近所の人たちの分までも彫っていた。

鮎漁が解禁されると、川に履いて入る草鞋も編む。ある時は、一か月もかけて、和紙を何枚も貼り付け、乾燥させ、絵を描いて、花札の全48枚を手書きで作り上げた。戦前の農家生まれの父の器用さとマメな性分。なぜか、いまのボクには全く遺伝していない。血筋などというのは、いい加減なものだとつくづく思う。

一方で、そんな父は戦前生まれらしからぬ合理的で、割り切った考えを持っていた。最初の孫が生まれた時のことだ。孫の誕生と付ける名前を報告したら、返ってきた言葉が「名前なんか所詮記号みたいなもんだ。1でも2でも3でも、好きなようにつけたらいい」。何とも返す言葉がなかった。

そんな父だが、どう考えても根拠に乏しいことを口うるさく言うこともあった。ボクが小学校に上がったばかりの頃、親指と中指をこすり合わせて離す、いわゆる「指パッチン」と口笛を覚え、四六時中、鳴らしていた。ふだんは気にも留めていなかったようだが、夜に口笛を吹くのはご法度だった。

「夜に口笛を吹くなと言っただろう。火事になるぞ」と叱られる。火事だけではない、「蛇が出る」「泥棒が来る」とも言われたし、母も「人さらいが来るよ」とそっと言い足した。子ども心に、なぜ、夜の口笛が蛇や泥棒を呼び出すのか、まったく理解できなかったが、父の両親、つまり祖父母や、そのまた先のご先祖様からずっと言われ続けていることらしく、おとなしく黙って聞いていた。

そういえば、食べてすぐに横になって寝そべると、「牛になるぞ」とも言われたなぁ。夜に爪を切るな、というタブーもあった。夜に爪を切ると、親の死に目に会えないというのだ。全国共通のタブーなのかどうか知らないけれど、それぞれに、この島国で生き抜いてきた先人の経験と知恵が込められているのだろう、と思うしかなかった。

カレンダーが一枚めくられ、7月になった。いまは亡き父の横顔を思い出しながら、もうひとつ、「夜に新しい靴をおろすな」とも言われたことを思い出した。

エアコンが効いた部屋で、そういえば、長く、蚊取り線香をたいたこともないけれど、遠くなった昭和の小さな光景には、蚊帳を吊った時の麻の香りと蚊取り線香の匂いが、なぜか、よく似合う。

MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。

読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭

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