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「#11 人間という肩書」風の歳時記

「#11 人間という肩書」風の歳時記

『定年で部長という肩書がなくなりました。そんな私に、妻が言いました。

「人間という肩書があるじゃないですか」…』

もう10年ほど前になるだろうか。エルトンジョンの曲をバックに、こんなナレーションが流れるテレビCMが心に染みた記憶がある。会社を中心に回っていた長い生活に区切りをつけ、ホッと安堵する一方で、一抹の寂しさも感じている夫。そんな時に妻がかけてくれた「人間という肩書」という一言。「確かに、そうだよねぇ」と、テレビを観ながら飲みかけの珈琲を喉に流し込み、「でもねぇ」と呟いている自分がいたような気もする。他人事じゃないんだよね。

戦後まもなく生まれたベビーブーマー、団塊の世代の全員が、来年、75歳以上の後期高齢者になる。敗戦直後の1947年から1949年までの3年間に生まれた人たち、いわゆる第一次ベビーブームと呼ばれる世代は計806万人、年間出生数は270万人近い。

金の卵、受験競争、学生運動、ミニスカート、団地、企業戦士、マイカー、年功序列、1億総中流、バブル経済、失われた30年…流行も、消費も、ライフスタイルも、この膨大な男女の群れが引っ張ってきた。戦後80年の喜怒哀楽、悲喜交々と添い寝しながら、はっと気が付くと、定年後の再雇用期間もゴールを過ぎて、人生の長い、長い、黄昏のまっただなかにいる。

ムラ社会に例えられた日本の企業だけれど、かつての山里では「死ぬこと」がムラから離れることを意味していた。それにに比べると、会社の場合は、平均15年から20年以上の「余生」が待ち構えている。それは、部下後輩が指示に従ってくれる閉鎖社会ではなく、「これまでの肩書」がまるで通用しない世間。内輪だけで通用するバーチャルな肩書を全て無くした時、自分がどの位置に立っているのか、何を目指して歩いて行こうとしているのか、どんな生きる力を持っているのか、皆目わからなくなってしまう不安。今さら公民館の講座に通う気もしないし、ゲートボールもねぇ、まして濡れ落葉族だなどと呼ばれたくもないしな…。そんな男たちの姿が冒頭のCMの向こうに透けて見える。

「会社中心社会という言葉をひっくり返すと会社心中社会なんだな。会社と心中なんていやだよなぁ」と、酒を飲みながらポツリと漏らしたのは、以前働いていた会社の先輩だった。上司からの無理難題と部下からの突き上げに挟まれて「やってられないぜ」とボヤキながら、彼は61歳からの再雇用を拒否して、一人で生きていく道を選ぶ。「厳しいのは、わかってるけどな」との挨拶状には、続けて、「俺は、ただの俺らしく」とあった。

秋の色が駆け足で近づいてくる季節になった。山々が紅葉で色づき始めたら、焼酎瓶でもぶらさげて、先輩を訪ねてみるか。「人間という肩書」がどんなに自由で、伸び伸びとした素敵な肩書かを確かめに。  

MBCラジオ『風の歳時記』
テーマは四季折々の花や樹、天候、世相、人情、街、時間(今昔)など森羅万象。
鹿児島在住のエッセイスト伊織圭(いおりけい)が独自の目線で描いたストーリーを、MBCアナウンサー美坂理恵の朗読でご紹介します。
金曜朝のちょっと落ち着く時間、ラジオから流れてくるエッセイを聴いて、あなたも癒されてみませんか。

読み手:美坂 理恵/エッセイ:伊織 圭

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