今週も薩摩の青少年教育「郷中教育」についてご紹介します。
引き続き、6・7才から10才までの「小稚児」の一日の過ごし方をお伝えします。
小稚児は、午前中をほとんどは、書物を読むことに費やし、その後、誰かが言い出しっぺとなり「走り競べや、馬追い、大将取り」などといった運動を行っていました。
この運動を小稚児だけで行う郷中と、長稚児と一緒になって行う郷中とがあったようです。
では、その運動とは、どんなものだったのでしょうか?
まず、小稚児の遊びの第一は、「山遊び」。山といっても高い山に登るわけではなく、郷中近くの小さな丘、例えば鶴丸城下では、多賀山・城山・武岡程度の丘でした。
つまり二才咄格式定目で定められている「山坂達者」のような「山」とは違い、10才前後の小稚児が登れるような「丘」で遊んだのでした。
例えば、坂元・後迫の小稚児たちは、ヘゴの生い茂るヘゴ山で「山遊び」をしたので、ここの小稚児たちを「ヘゴ山稚児」と呼んだと記録されています。
ヘゴは、県下では、大隅の南端や、薩摩半島の枕崎や、笠沙にも自生していましたから、坂元・後迫以外の郷中にも「ヘゴ山稚児」と呼ばれた少年達が存在していたかも知れませんね。
では、今日も、鹿児島のこの言葉でお別れしましょう。また明日。毎日ごわんそ!