先週から薩摩の青少年教育「郷中教育」についてご紹介しています。
昨日もお伝えしましたが、「城下侍」と、「外城侍」即ち「郷土」の数は、城下侍1に対し、郷士が10でした。しかも、城下侍と郷士の住む武家集落の暮らしぶりは、全く違っていました。
郷士たちは、「日して牛」と呼ばれ、一日おきに田畑で鍬を握る生活。日常の働きが異なりますので、一言で「郷中教育」と言っても、その中身はいささかの違いがあって当然でした。
例えば、鶴丸城下で稚児と呼ばれる少年達は、
『小稚児と長稚児とに分けられ、六才から十才までを小稚児。十一才から十四・五才までを長稚児。
そして、二才は、十四才から二十四才まで。それ以上の二十四・五才以上の先輩を長老』
と呼んでいました。
一方、郷士の住む集落では、
『稚児と二才に大別され、稚子は元服前の少年。二才とは、元服した青年を称した』
と鹿児島大学名誉教授も務めた北川鉄三さんは、区別しています。
幼い少年が郷中の一員になるとき、短い脇差を挟んで、父親と一緒に郷中の責任者を訪れ、二才頭に向かい「ヨカに頼む」と挨拶。すると二才頭から注意があって、全てが完了。
狭い方限の中のこと。隅々まで知り尽くしていますから、難しい手続きは必要なかったと伝えられます。
しかし、小稚児から長稚児の仲間に入る時は、少し難しくて、今まで、小稚児として付き合ってきた仲間の上に立ったことになるため、今のうちにいじめておけとばかりに、やや乱暴な儀式が行われていたと伝えられます。
詳しくは、明日のこの時間に・・・
それでは、今日も、鹿児島のこの言葉でお別れしましょう。
また明日。毎日ごわんそ!