慶応4年5月4日 久光に参内命じる
新政府は、薩摩藩の島津久光に対して、京都に上り参内するように命じました。
薩摩藩主、島津忠義の父・久光は、新政府成立後も薩摩の国許に留まっています。
朝廷は久光に対し京へ上り参内するよう命じていますが、久光は病を理由に辞退しました。久光の辞退の意図は分かっていません。
その一方、久光の家来である薩摩藩士は、きょう町田久成と五代友厚が外国官権判事に任命されました。
これにあわせ町田は、朝廷から従五位下に任じられ、大名と同等の官位となりました。薩摩藩の藩士は次々と大名なみの官位を持ち、新政府で活躍しています。
薩摩藩の最高権力者でありながら、新政府と距離を置き続ける久光の心中は分かりません。