慶応4年6月29日 会津南東で攻防戦
きょうは慶応4(1868)年6月29日です。会津の南東にある磐城平藩で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との攻防戦がはじまりました。
新政府軍は、きのうからきょうにかけて磐城地方3藩のうち、泉藩と湯長谷藩を攻略。残る磐城平藩に対し、佐土原藩備前岡山藩などの新政府軍600人が、きょう攻撃をかけました。対する奥羽越列藩同盟側は、磐城平藩に仙台藩・米沢藩の増援を送り、800の兵で迎え撃ちました。
会津の側面にあたる磐城平藩は要衝で、同盟軍の戦意は高く、米沢藩兵は速射ができる洋式銃を配備していて、戦況は一進一退のまま日没。
新政府軍は、夜襲を避けるため、湯長谷まで後退を余儀なくされました。あす以降、泉藩を落とした薩摩藩兵が合流し、総力戦が予想されます。