桜島沖の無人島・新島 元島民の思い

きょうのテーマは無人島です。
現在、鹿児島県には有人離島が26ありますが、このほかにもかつて人が暮らした島がありました。

ひとつは十島村の臥蛇島で人口減少のため昭和45年に無人島になりました。
そして、西之表市の馬毛島も昭和50年代に無人島になり、その後、島の大半を所有する企業の従業員らが一度は住民として登録されたものの、平成27年の国勢調査では再び無人島になりました。

もうひとつ、平成の間に無人島になったのが桜島の北東に浮かぶ新島です。
県都・鹿児島市で無人島となったこの島の元島民の今は?


(東ひろ子さん)「ここは昔、海の中だった。海の中から持ち上がった島。」

新島は1779年に始まった桜島の安永噴火に伴い、海底が隆起してできた周囲2.3キロの島です。

近くに豊かな漁場があり、ピーク時の昭和26年にはおよそ250人が住んでいましたが、次第に対岸の桜島に転出する人が増え、高齢化が進んだこともあり、人口は減少。
5年前に無人島になりました。

無人島となった今も運航が続く行政連絡船に元島民の姿がありました。
東ひろ子さん(61)です。
東さんは中学を卒業後、島を離れ、今は鹿児島市街地で暮らしていますが、無人島になったふるさとをきれいにしたいと、4年前から月に2回、通うようになりました。

(東ひろ子さん)「再現しようかなと通い始めたのが、ふるさとを清掃するきっかけ。やはり、ふるさとは、来たら活力をもらえる。」


港の周辺には空き家や廃墟が数軒残っています。

(東ひろ子さん)「ここが我が家の跡。(門が残っていますね。)ここから全然入れない状態だったが、草を刈ってもらって(入れるようになった。)」

新島では、長く自家発電が行われていましたが、昭和54年に海底送電線が完成し、島では、夜も灯りがともり、テレビも楽しめるようになったほか、冷蔵庫も使えるようになるなど、島の生活は便利になりました。
また、かつては小学校の分校もありました。近くの砂浜で開かれた運動会には島のみんなが参加し、盛り上がったといいます。

(東ひろ子さん)「この辺で運動会をしていた。この辺で。よそに出ている人が帰ってきて、お祭りみたいな感じの運動会だった。島民一丸となって」


かつては子どもたちの声が飛び交った新島も今では無人島になってしまいました。
今もふるさとを思い、島の保全活動を続けるひろ子さんを支えているのは夫の道也さんです。
道也さんは中学の同級生で、5年前に同窓会で再会。新島での活動を通じて3年前に、保全のため改修した島の神社で結婚しました。

2人は先月、今も交流を続ける元島民らの勧めで、結婚衣装で写真撮影を行いました。
新島は2人にとって大切な絆となっています。

(東ひろ子さん)「私のふるさとが無人島になったので、きれいにしようと言って、ボランティアに誘って、私の方から好きになった」
(東道也さん)「神社を一生懸命改築したので、神様が結びつけてくれたのではないかと思っている。」


無人島になって5年。島を活用しようという動きも出てきています。
鹿児島市は今年度から活用法の検討を始める方針で、先月は森市長が島を視察しました。

(森博幸鹿児島市長)「ライフラインも整っているので、今後、この新島、どういった活用ができるか。私自身もワクワクするような感じだった。」


今月15日には、東さん夫婦を中心に島の元住民たちが新島での教育活動に取り組むNPO法人を立ち上げました。

これまで個別的に行ってきた新島での自然体験ツアーなどの取り組みをさらに進めることにしています。

(東ひろ子さん)「子どもたちがこういう所を裸足になって、靴を脱いだ感覚を、こういう所を走り回って味わってほしい。いつまでも、みんなの宝の島を、誰かが働くことによって、続けられたらいいと思っている。」

平成に入って無人島となったふるさとに、新しい役割を担ってほしい。東さんたち元住民は、住む場所は変わっても島とともに歩みを続けています。

(東ひろ子さん)「寂しい、(平成の)30年の月日というのは。でも今は盛り上がりつつあって楽しい。この島もなんとなく蘇ってくるのではないか。子どもたちの声が聞こえてくるとしたら、それが自分たちの夢。」