横山欣司さん死去 MBCラジオユアヒットパレードやニューズナウキャスターで活躍

MBC南日本放送のキャスターやディスクジョッキーとして戦後の鹿児島のローカルニュースや音楽文化をリードした横山欣司さんが亡くなりました。88歳でした。

(横山欣司さん/2020年)「キャスターとして肝に銘じていたのは、沈着冷静、判断力、臨機応変。この3つを胸に放送していた」

横山欣司さんは東京都出身で、1959年にアナウンサーとしてMBCに入社し、ラジオやテレビで活躍しました。

入社の年から担当したラジオの洋楽番組「ユアヒットパレード」は、「かっこが良くて音楽に強いのが現代のヤング」で始まる軽妙な語り口と、世界中のヒット曲をいち早く紹介する手法が、若者の圧倒的な支持を集めました。

1970年代にはテレビに進出し、1973年に始まった地域密着の情報番組「奥様ワイドMBCですこんにちは」では初代の司会を務めました。

MBCが1976年10月にスタートさせた30分間の夕方ワイドニュース「MBC6時こちら報道」。横山さんは1979年からキャスターを務めました。

そして、その後の「MBCニューズナウ」の時代も含めて、21年間にわたって鹿児島の出来事や話題を伝え続けました。

中でも横山さんが最も印象に残ったのは…。
「平成5年8月6日、8・6水害ですね」

1993年の8・6豪雨災害では、甲突川のはんらんや土砂崩れなどが相次ぎ、死者・行方不明者は49人に上りました。川沿いにあるMBCの社屋も水につかりましたが、排水作業をしながらテレビとラジオで放送を続けました。

(横山欣司さん)「放送局の使命として、何をどう伝えるか。人々の役に立てるかどうかがある。使命感・役目で一生懸命だった」

キャスター時代は国鉄の赤字路線の廃止や、難航した九州新幹線の建設問題、屋久島の世界自然遺産の登録など、鹿児島が大きく動いた時代でした。

キャスターを引退したあとも、MBCラジオで歌謡番組を2021年まで担当するなど、80代になっても活躍を続けました。

その後、2021年10月に病気療養のため入院。最近はリハビリにも励んでいたということですが、去年の年末の12月28日に鹿児島市の病院で亡くなりました。88歳でした。

葬儀、告別式は近親者だけで行ったということです。ご冥福をお祈りします。