基地着工から半年 「あの頃は天国だった」漁師(85)が語るかつての馬毛島(2023年7月20日放送)
自衛隊基地整備の着工から半年が経過した鹿児島県西之表市・馬毛島。かつては種子島側の人にとっても暮らしに根ざした身近な島でした。
長年、島で漁をしてきた男性を通して、かつての島の様子を振り返ります。
馬毛島基地の着工から半年。種子島の西之表港からは、建設作業員を乗せた海上タクシーが続々と出航します。
向かう先は馬毛島の玄関口、葉山港。去年、防衛省がボーリング調査や港湾の水深を深くする工事を行い、資材などを搬入する港になりました。
葉山港を拠点に漁をしてきた集落があります。西之表市塰泊(あまどまり)地区、人口およそ500人の漁村です。
浦頭長五郎さん、85歳。中学校を卒業してすぐ漁師になりました。
(浦頭さん)「ここら辺りにはナガラメがたくさんいた。道を挟んでトビウオ小屋があった。毎年5月になるとトビウオ漁で馬毛島に渡った」
浦頭さんたちは、トビウオ漁の時期になると馬毛島に季節移住しました。当時の船では日帰りができず、移住小屋を築いて寝泊りしながらの漁でした。海岸で獲れるアワビの仲間ナガラメも貴重な収入源でした。
(浦頭さん)「海と馬毛島を行き来して漁をした」
種子島の漁師にとって馬毛島はどんな存在なのか。島の歴史や文化を伝える「鉄砲館」に入ると、一際目を引くジオラマが展示されています。
(種子島開発総合センター鉄砲館 鮫島斉さん)「馬毛島でのトビウオ漁を再現したもの。馬毛島にトビウオ小屋を建てて季節移住をして漁をする。代表的な種子島の漁」
トビウオの産卵地でもある馬毛島は、昔から一級の漁場でした。漁区の既得権を記した石碑が今も葉山港にあります。
(鮫島さん)「こういった歴史があって、ここで漁をしてきたということを後世に伝えるために書き記した。主に池田、洲之崎、塰泊の人々が馬毛島で漁をしていて、後に住吉の浦人も入ったと記されている」
漁村ごとに行われた季節移住は昭和40年代前半まで続きましたが、漁船のスピード化に伴い徐々になくなりました。仲間と団結してトビウオ漁を行った頃を浦頭さんは、鮮明に覚えています。
(浦頭さん)「組合の中にベンザジという(集落の漁民を代表する)役がいて、その人が夜中1時に『起きれ!』と叫んで回った。行くぞと言うと皆船に乗り込む。早いもの勝ちだから。いかにして魚が住んでるところを見つけるか」
馬毛島の最高地、岳之腰の頂上に旧日本軍のトーチカがあります。そこからトビウオが獲れている位置を把握し仲間に伝達していました。
(浦頭さん)「電球の灯りで合図していた。喧嘩ばかりだった」「道の上に倉庫があった。その倉庫でトビウオをタルに漬け込んで、翌日洗って干した。大口の業者が2万匹買っていった」
港にある漁具倉庫で、井戸端会議をするのが浦頭さんの日課です。漁師仲間の一人、寺田末雄さん(80)。30年以上前に8ミリビデオで撮影した映像を見せてくれました。
(寺田さん)「まだ馬毛島の出入りが自由なとき」
馬毛島の開発がはじまる前、家族や友人と潮干狩りに行った記録でした。
(寺田さん)「天国やった、この時は。馬毛島は…」
(浦頭さん)「残念でたまらん。かつてのように自由に馬毛島に渡って、(孫たちと)シカを見たり泳いだり、ナガラメを獲ったりさせてあげたかったなと。それが今も抜けない」