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騎射場ってどこまで?

騎射場電停周辺の地図ですが、騎射場の範囲、どこまでなのか考えたことはありますか?
騎射場の範囲に答えはあるのでしょうか?取材してみると、意外な事実が分かりました。緒方記者の報告です。


騎射場公園を中心に飲食店が集まる鹿児島市の騎射場エリア。

鹿児島大学に近い「学生の街」として、夜に賑わう「飲み屋街」として知られていますが、実は騎射場という住所は存在していません。

 

騎射場電停付近を中心に北は荒田八幡周辺、南は鴨池、西は鹿児島大学までの地図を元に街の人に聞くと…

(代行運転手)「人が歩いてるところがこの範囲。タイヨーの裏にも居酒屋があって、このへんからも呼ばれたりする。」

(鹿大生)「僕らが騎射場って言うと騎射場公園中心のここくらいの範囲、地名として騎射場って思うとこのくらい」

(騎射場常連客)「きしゃばホテルは入る?入らん。騎射場は裏通りだけ。」

人によって、騎射場の捉え方はさまざまなようです。


答えを求めて鹿児島市をたずねると、意外な事実が分かりました。

(鹿児島市教育委員会文化財課 池田課長)「昭和2年の古い地図で、騎射場電停を南に下ると鴨池電停がある。鴨池電停の隣に騎射場と書いている」

昭和2年の地図には騎射場の地名が。

(緒方記者)「鴨池2丁目の鴨池福祉館にあるこちらの石碑には、騎射場跡と記されています。」

なんと本来の騎射場は、今の騎射場よりやや県庁よりの鴨池付近にあったのです。


(東川隆太郎さん)「明治35年くらいの古い地図を見ると、おそらくこのあたりが騎射場の表記がある場所。下荒田郷土史を見ると、騎射場という集落があったと書いてある。」

下荒田郷土史には、鴨池グラウンドと谷山街道の間の集落が騎射場と呼ばれていたことが記されています。

江戸時代、薩摩藩の武士たちが武芸の修行で馬から矢を射る「流鏑馬」や「犬追物」などの練習場として使われていて、この集落が騎射場と名づけられたのです。


その騎射場が荒田側にずれ、現在の位置になった転機は2つあります。

そのひとつは市電です。
1912年・大正元年、市電が開通し、今の騎射場電停が誕生しました。

(東川隆太郎さん)「電停が誕生したことで、そこに騎射場と言う名前が記されたことで、騎射場が定着したと考えられる。」

もう1つの転機は、鹿児島大学です。

1949年(昭和24)に、鹿児島高等農林学校が鹿児島大学農学部となり、60年代にかけて医学部や工学部などが誕生。多くの学生が集まるようになりました。

こちらは1967年、昭和42年ごろの騎射場電停周辺の映像です。

電車通り沿いには、多くの商店が立ち並んでいます。騎射場電停の向こうには今のスーパー「タイヨー」の前身、太陽ストアも写っています。
電停、そして鹿児島大学の誕生により飲食店が増えたことで騎射場は本来の位置からずれ、今の場所で発展してきました。


歴史は分かりましたが、では騎射場がどこからどこまでなのか?

騎射場で不動産業を営み、イベント「騎射場のきさき市」を主催する須部貴之さんです。
騎射場の範囲は徐々に広がってきているといいます。

(須部貴之さん)「ふわふわ広がってきている。ちょっとずつ騎射場という陣地が広がっている感じがする。」

特に、騎射場公園から鹿児島大学の間のエリアは飲食店が増え、新たに騎射場になったとみています。

(須部貴之さん)「今がここですね。(以前は騎射場っていう場所ではなかった?)なかったですね。飲食店が増えてきて鹿大生から言うと(騎射場が)広がってきたんじゃないかな。」

鹿児島大学のすぐ近くの居酒屋は…

(和風バル SA・MURAI)「騎射場っていう方がなじみが深いので、騎射場というくくりにまとめてもらえるとありがたいかな。」

さらに、騎射場電停からおよそ600メートル、1駅となりの荒田八幡電停近くまでも。

(騎射場 奏や)「(この場所は騎射場ですか?)騎射場です。騎射場って見ていただくとなじみがあって親近感もってもらえる。私も入れて、って感じで。」

「騎射場」の親しみやすいイメージから、その範囲が広がりつつあるようです。


(須部貴之さん)「古きと良きが混ざり合うような街になったらいい。ふわっとでいいんじゃないかなと。決められないですよね、ここからここまでと。」

そして、この方々も。

(東川さん)「線引きはしない方がいいかも。ただ、もともとはどこだったのかとか、どういう変遷があったのかとか、昔に思いを馳せてみると、このあたりの楽しみ方が広がるような気がしますね。」

(教育委員会文化財課池田課長)
「ここからここまでと決めるのも無粋な感じがしませんか?時代の流れとともに移り変わっていくのは風情があっていいのでは」

100年以上の歴史の中で、場所が変わり、範囲が広がった騎射場。
どこからどこまでとする範囲はなく、時代の流れの中で親しまれながら変わっていることが分かりました。