【プロ野球ナイターの日】社会人野球の歴史について!

ポニー号より脇野です🐰
本日8月17日は「プロ野球ナイターの日」ということで、野球に関する話題をお届けしました!
お話を伺ったのは社会人野球チーム・鹿児島ドリームウェーブ球団代表の國本正樹さんです!

社会人野球っていつできたの?

社会人野球の歴史を遡ってみると、明治11年に新橋駅の鉄道関係者により「新橋アスレチッククラブ」が結成されたのが最初。その後、第一次世界大戦後の後継機もあり大正5年あたりからは多くの企業が野球チームを持つようになったそうです。

鹿児島の社会人野球の歴史は?

鹿児島の社会人野球は大正8年に鹿児島鉄道管理局野球部・通称「鹿鉄」(現JR九州)が発足したのを機に多いときで5チームほどが存在していたそう。最盛期である昭和30年代には、鹿鉄とともに鹿児島市交通局野球部、鹿児島トヨタ野球部が存在。鴨池市民球場は応援する方々で大いに盛り上がっていたそうです!

20年ぶりの社会人野球チーム発足

鹿鉄が昭和62年に廃部になったのを機に、鹿児島では約20年ものあいだ社会人野球チームがありませんでした。そんな中2005年、茨城ゴールデンゴールズ「欽ちゃん球団」とのイベントが開かれた際の対戦相手として公募した選手で「鹿児島ホワイトウェーブ」(現ドリームウェーブの前身)が発足。
「せっかくだからチームを残そう!鹿児島代表で都市対抗を目指そう!」
と半ばノリでスタートさせたそう。ですが、社会人野球チームを登録するためには鹿児島県野球連盟を通さないといけない。しかし鹿児島には鹿児島県野球連盟がない!ということで『鹿児島県野球連盟』をつくるところから始まったんだとか!これはすごい・・
それでもチームは着実に歩みを進め、2012年にはチーム名を「ドリームウェーブ」に変更し、全日本クラブ野球選手権九州予選で優勝。2015年には社会人野球の名門・ホンダ熊本の内川義久監督を迎え、チームは2回目のクラブチーム九州一に輝きました。

鹿児島ドリームウェーブが今後目指すもの

”社会人野球の甲子園”といわれる都市対抗野球大会出場を目指すとともに「地域の皆さん・選手が所属している企業の方々がドリームウェーブの試合を楽しみにしてくれて、球場に集って応援して盛り上がるような球団にしていきたい」と國本さん。
 
私も鴨池ドームで行われた練習を見学させていただきましたが、選手・監督・コーチ陣の真剣な雰囲気にじっと見入ってしまいました。そして國本さんのお話や言葉からにじみ出る情熱につい熱くなってしまいました。クラブチームとしての都市対抗出場、ドリームウェーブの試合を通して繋がる輪・・・これからとっても楽しみです!!!

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