日置市吹上町「動く永吉」大寺聡さん

きょうは、日置市吹上町永吉地区のグループ「動く永吉」です。東京から永吉に移住して18年。イラストレーターの大寺聡さんを中心に、地域を盛り上げる地道な活動が続けられています。

大寺聡さん

250世帯、517人が暮らす吹上町永吉。
地区の中心、永吉小学校は、全校児童47人。かつて、児童が700人ほどいた時代もありました。

(精肉店を営む大田卓一さん)「登校時もですね、(今は)何人かチョロチョロと声がしたらもうすぐに終わりますよ。昔は30分くらいずっと子どもたちの声がしよったからですね」


過疎が進む永吉で地域づくりを続けるイラストレーターの大寺聡さんです。2000年に東京から永吉に移住しました。
「小学校の夏休みに毎年この場所で祖父に遊んでもらっていて、おまえはここに帰って来る人間だみたいなことを言われていたものですから、ずっと愛着がありまして、それで思い切って移住してきたという形です」

大企業の広告や商業誌などのイラストを手がける大寺さんが、地域活動に取り組み始めたきっかけは、6年前の東日本大震災でした。「これはやっぱり3.11の震災が大きくて、今まで自分もデザインの仕事をしてきている中で、大型消費型社会の広告に携わったりとかいうことがあったので、それとは全く違う軸の、地元のためだけに何かができるのではということで、仕事以外に分けてそれを考えなければいけないと思って始めたんです」


過疎化が進む永吉は、便利さや速さが重視される大量消費社会と対極にあります。こじんまりとした暮らしの中に幸せを見つけ出す場所として、永吉はどんな姿になっていけばよいのか。これが「動く永吉」の活動の原点です。


「動く永吉」は、大寺さんや商店主など、10人ほどが主要メンバーです。活動拠点は空き家を改造した「永吉銀座」です。

永吉には、かつて銀座通り、文化通り、都通りと、3つの通り会があり90を超す商店が並んでいました。
銀座通りだけでも40近くあった商店は、現在、14店舗に減りました。


「永吉銀座」では、毎週土曜日の朝、「アサカフェ」が開かれています。メンバーだけでなく、近隣の皆さんも自然に集まり、今後の活動などを話し合います。


そしてこの日は、地元の風景を写した絵葉書の袋詰め作業が行われていました。絵葉書は、永吉の全戸に配られました。

 

「永吉銀座」は、交流人口を増やすため町外の人たちにも解放しています。この日は鹿児島市のボランティアグループ、れんげ草の会が、アフガニスタン支援のチャリティーバザーを開き、地元の皆さんが訪れていました。
地域の一体感を高めようと、永吉のグッズやシンボルマークも作りました。


「動く永吉」がいま準備を進めるのは24日に開く「歳の市」です。正月用の野菜や花など、数多くの露店が並び、近隣の町からも多くの人が訪れていた永吉の「歳の市」。年々廃れていましたが、「動く永吉」が関わって新たな歳の市が開かれたのは、7年前からです。

 
今年は、うどんやピザ、木工作品など、近隣の町からも含め、41店舗が出店します。


出店者の中には、永吉の住民も。来年春に結婚する2人は3年前に永吉に移住し、農業を営んでいます。
(鶴田修市さん、藤田愛弓さん)「永吉の豊かな自然を守りたくて農業を始めました。歳の市当日は、獲りたての人参、ジャガイモ、大根をお持ちします。みんな来てねぇ」


12年前に鹿児島市から移住し、古民家を利用して中華料理店を営む蔡さん夫妻は。「私は吹上海岸の夕陽が好きです。聚福園も中華チマキとジャージャー麺、チャーシュー&蒸しチキンを出品します。ぜひお越しくださいませ」


移住した人たちも地域に溶け込む良い機会になっている「動く永吉」の活動ですが、大寺さんは、まだすべきことがあると課題を話します。
「色んな主体が永吉の中にもあるので、その中の一つのグループという形で今落ち着き始めてしまっているので、本当はもっと色んな主体に働きかけをして、もうちょっと一体感を作りたいなとは思っているんです。今、ちょっとそこでつまづいているかなというのはあります」

暮らす人たちの目線で取り組む「動く永吉」。地域の魅力を掘り起こす模索が続きます。