『天文館』って、どこからどこまで?
“南九州一の繁華街”と言われる天文館ですが、肝心の範囲がはっきりしませんよね。
言われてみれば…なんとなく繁華街のあたり、と漠然としたイメージを持っている方も多いかもしれませんね。
はたして天文館の範囲に答えはあるのでしょうか?取材してきました。
”天文館”はどこからどこまでだと思いますか?
「アーケードがあるところがそうなのかなって」
「食べるところとか買い物するところのエリアで、山形屋からこっちの市電が走ってる辺りまでかなと」
「天文館といったら飲み屋さんのイメージ。天文館という名前が付いている辺りかなと」
10人に協力していただいたところ、その回答はさまざま。
天文館本通りなどアーケード街の中心部分は、全員が天文館としましたが、そのほかのエリアは、人によって認識がバラバラです。
その「境界」はというと…
東は、山形屋のある金生町からマルヤガーデンズがある呉服町などのエリアを含むかどうか。
北は、国道10号に接する中央公園を含むかどうか。
西は、二官橋通りまでか高見馬場電停のある電車通りまでか。
南は、天文館公園を含むか含まないか…などで意見が分かれました。
WeLove天文館協議会に聞いてみると…
天文館の商店などで作るWeLove天文館協議会に聞いてみると・・・
(WeLove天文館協議会 牧野繁会長)「いろんな町が混ざり合ってできてるのが天文館。一概にどっからどこまでという線引きはされていない」
協議会としても、明確な範囲は設けていません。
(牧野会長)「昔はこの天文館本通りを中心として、ぴらもーる、にぎわいはいから通りこの一角と文化通りから下がったところ、の一角を中心に天文館と言っていた」
しかし最近では、照国神社や西郷銅像付近など、広い範囲が「天文館」になっていると言います。
(牧野会長)「店や飲食店ができてきて、やはり天文館でありたい、天文館に出店したいとか…以前からすると3倍ぐらいに天文館エリアは広がっている」
東川隆太郎さんに聞きました
人によって捉え方が違う「天文館」。鹿児島の歴史に詳しいこの人に、聞きました。
(かごしま探検の会 東川隆太郎さん)「天文館の由来というのは、ここに天文観測所があったからですよね、江戸時代の中ごろ。鹿児島にも独自の暦を作るための天文施設を作ろうということでここに明時館こと天文観測所ができた、それが天文館とも呼ばれていた」
薩摩藩の25代藩主・島津重豪が1779年につくった天文観測所・明時館。天文館一帯は、明治まで寂しい場所でしたが、大正から昭和初期に路面電車が開通し、映画館や劇場が次々開館。人が集まり、食堂や商店ができたほか、呉服店だった山形屋がデパートとなり、周辺が栄えていきました。
徐々にエリアが広がった天文館ですが、東川さんはこう考えます。
(東川さん)「高見馬場の電停は入らないけどこの辺りまでかなというね、いづろはちゃんと電停名があるのでここは天文館って言うかってなると…この範囲が私の中での天文館というい位置づけかもしれない。鹿児島県人としての永遠のテーマだと思いますよ」
天文館エリアの店は
天文館はどこまでという永遠のテーマ。天文館エリアの店はどう捉えているのでしょうか。まずは、東川さんが北の境界線を引いた中央公園付近。
Q.ここは天文館ですか?
「天文館だと思っております」
一方、道路を渡ったこちらの店は…
「この辺が天文館とは思ってない。やっぱ天文館はあっち側」
続いて向かったのは東のキワ。そして東川さん、ここでエリアを修正です。
(東川さん)「やっぱりマルヤは天文館に入れましょう、重要な施設ですからね」
一方、店によって意見が分かれたのが、山形屋周辺の金生町エリアです。
なや通りにある3つの店に聞いてみると…
花屋さん「ここはなや通り。天文館はむこう側」
果物屋さん「金生町とかなや通りとかそういうイメージ(天文館ではない)」
一方、すぐそばにある婦人服店は…
「天文館にある、天文館の中のなや通りにウチはある、っていう」
鹿児島市は
にぎわい作りや都市計画など様々な部署が天文館に関わる鹿児島市は、天文館の範囲をどう決めているのでしょうか。
(鹿児島市教育委員会文化財課 池田雅光課長)「それぞれの部署で大まかに。この辺りがそうなのかなっていうのはあるが、明確な行政区画としてはない」
そして担当者は…
(池田課長)「まあ、その方の天文館が、天文館なんじゃないでしょうかね(笑)」
さらにこの方たちも。
東川さん「永遠の謎は残したままがおもしろいんじゃないかと」
牧野会長「それがいちばん。その人が思うところが天文館であって」
街での思い出や店への思い入れ…「天文館」は、人それぞれに存在していると言えそうです。
昼と夜のエリアがあったり、店も変わっていく…さまざまな顔を持つ天文館ならではのテーマ。
店の人の話からも、「天文館」はひとつのブランドになっていると感じました。
再開発も進み、時代と共にまたみなさんにとっての「天文館」も変わっていきそうですね。