慶応4年4月24日 新政府と庄内藩 武力衝突
きょうは慶応4(1868)年4月24日です。東北山形で新政府の奥羽鎮撫総督軍と庄内藩兵が武力衝突しました。
旧幕府派の庄内藩に対し、新政府は追討令を出しています。
仙台に拠点を置く奥羽鎮撫総督府は、副総督の澤為量を総大将、薩摩の大山綱良を参謀とし、兵およそ200人を派遣。けさ早く庄内藩兵と最上川沿いの清川口で戦闘になりました。
新政府軍は、薩摩・長州が中心でしたが、対する庄内藩は洋式銃や大砲を備え、兵も洋式の訓練を受けていました。
戦闘は午後に入り庄内藩が優位になり、新政府軍は撤退しました。この戦いで、双方でおよそ20人が戦死しました。
いっぽう、北関東・下野国の壬生城では、けが人の看護にあたる女性9人が雇用されました。城には、きのうの宇都宮城の攻防戦でけがをした兵士が運ばれています。9人は地元の女性たちで医師の指示で、銃でけがをした兵士の看護を担当しています。国が看護のために女性を雇用したのは初めてとみられます。