慶応4年3月21日 天皇 大坂へ行幸
きょうは慶応4(1868)年3月21日です。天皇はきょう京都を出発し、大坂へ行幸に向かいました。
新政府内では今年に入り、大久保利通が「人民に新しい天皇像を示すため」として、大坂への遷都を主張しましたが、公家を中心とした京都の保守層からの反対で実現しませんでした。その代わりに今回、「行幸」という形で天皇が大坂に向かいました。
この行幸は、新政府の権威を高める目的もあり、大坂では陸軍の閲兵と海軍の観艦が予定されています。天皇が京都を離れている間は、薩摩藩主・島津忠義が御所を守るよう勅命が下されています。
一方、きのう新政府の最高機関太政官代会議は、徳川家処分案を話し合い、徳川慶喜の死罪が許されました。
慶喜の水戸謹慎や、江戸城の新政府への明け渡しなどを決めた処分案は、天皇に承認されました。