慶応4年2月27日 会津藩 新政府軍からの攻撃に備える
きょうは慶応4(1868)年2月27日です。会津藩前藩主の松平容保は、朝廷に対して恭順を示しつつ、新政府軍からの攻撃に備えています。一方、新政府側も軍制改革を進めています。
会津に戻った松平容保は、藩士に対し、「鳥羽・伏見の戦いは新政府軍からの予期せぬ攻撃に対する正当防衛だった」と説明しました。容保は、朝廷に恭順の姿勢を示す一方、藩の軍制改革を進め、装備の洋式化と、年齢別の部隊編成を行い、東征軍の侵攻に備えています。
一方、新政府側も軍制改革を進めています。鳥羽・伏見の戦いで功績を上げた薩摩藩の吉井友実が、軍制基本取調掛に任命されました。
また、長州藩の大村益次郎が今月京都に上り、軍防事務局判事加勢に任命されました。
大村は、もともと医者ですが、洋学や軍事に才能を発揮し、長州藩の軍制改革や装備の近代化を主導しました。第二次長州征伐では、石州口の戦いで軍を指揮し、幕府軍を破っています。