慶応4年2月19日 新政府「裁判所」を設置
きょうは慶応4(1868)年2月19日です。新政府は、京都に地方行政と司法を担当する役所、「裁判所」を設置しました。
旧幕府でも、主要都市の行政と司法は奉行所が担っていましたが、新政府が設置した「裁判所」も行政と司法を担当します。
新政府は、先月から大坂、兵庫、長崎といった主要な直轄地に地方行政庁として裁判所を設け、全国統治の足がかりにしようとしています。
一方、江戸の徳川慶喜と東国諸藩の征圧に向け、新政府軍は、東海道、東山道、北陸道を東に進んでいて、3街道の軍は、それぞれ総督が指揮しています。
新政府の軍務局は、きょう東征軍の兵士に、官軍の証しとして肩に布印を付けることを決めました。
布印は、総督の印鑑が押された「御印鑑」と、錦の御旗にちなんだ「錦裂」の2種類があります。御印鑑と錦裂を身につけることで、味方と敵を区別するほか、新政府の兵士であることを世間に示す目的があります。