慶応4年2月2日 西郷 慶喜討伐の実行主張
きょうは慶応4(1868)年2月2日です。西郷隆盛は、慶喜討伐を一刻もはやく実行に移すよう強く主張しています。
西郷隆盛は、大久保利通に書状を送り、新政府幹部に赦免の嘆願書を送った慶喜について、「歎願は不届千万。是非とも切腹させなければならない」と強い口調で非難しています。
また、慶喜の依頼で嘆願書を書いた14代将軍家茂の妻、皇女・和宮についても、「賊の一味となった」と批判し、一刻も早い慶喜征伐を主張しました。
強い言葉の背景には、関東以北の諸侯やフランスなど国内外の旧幕府派勢力への警戒感があるとみられます。
ところで、新政府と朝廷複数の関係者によると、慶喜追討作戦を天皇の指揮で行うことを宣言する「天皇親征の詔」があすにも発せられる見込みです。
慶喜の嘆願は叶わず、今後、新政府軍では江戸に向かう部隊の編成など動きが加速しそうです。