慶応4年1月29日 新政府 江戸出兵に向け調整
きょうは慶応4(1868)年1月29日です。賊軍とされた徳川慶喜は、朝廷に繰り返し許しを求めていますが、新政府では、江戸出兵に向け調整が進められています。
新政府ではきのう、主だった幹部を集めて東征=徳川慶喜と旧幕府勢力の征伐に向けた、会議が開かれました。
薩摩からは、藩主・島津忠義の名代として家老の島津伊勢が出席しました。
会議を欠席した忠義は、今月17日新政府人事で、海陸軍務総督に任命されましたが、翌18日に辞表を提出しています。辞表提出は、西郷隆盛の進言によるものでした。
軍務総督は徳川家が務めてきた征夷大将軍と役割が重なり、「倒幕を主導した薩摩が天下を奪い、”島津幕府”を開くのでは」との憶測が新政府内にも旧幕府側にも広がっていました。
西郷には、忠義の辞職によってこうした懸念を打ち消す狙いがあったとみられます。忠義が東征会議を欠席し、家老を代理としたのも、こうした事情が背景にあるとみられます。