慶応4年1月16日 西郷隆盛 国許に書状
きょうは慶応4(1868)年1月16日です。京都にいる薩摩の西郷隆盛は、国許の藩士や家族に書状を送りました。
西郷隆盛は、久光の側近・蓑田伝兵衛に鳥羽・伏見の戦い後の政治情勢について書状を送りました。
慶喜が江戸に逃げた後、土佐や芸州広島など旧幕府寄りだった諸藩の姿勢が大きく変わったと報告しています。
慶喜に特に同情的だった土佐の山内容堂については、岩倉具視が「あくまで幕府寄りなら大阪へ行き慶喜を助けなさい。朝廷は少しも遺憾なことはない」「幕府派か朝廷派かあいまいでは困る」と決心を迫って以来、「降伏の姿」と伝えています。
民衆の様子については、鳥羽・伏見の勝利以降、京や大坂各地から祝いが届けられ、薩摩の旗を「薩摩大明神様」と拝むなど政権交代が喜ばれていると書きました。
また、政情不安で高騰していた米の価格について触れ、「戦争後は米の値段も下落し、民衆が喜んでいるのは天の恵み」としています。西郷は、藩宛の書状では喜びを伝える一方、妻イトへは、「戦いがすめば自分は隠居する」と書いて知らせています。